■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2009年2月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 15

上杉三郎景虎
 大河ドラマ『天地人』に登場する『神鳥(しとど)前川神社』ゆかりの人物とは、上杉三郎景虎でした。

 ドラマでは、玉山鉄二君というイケメン俳優が演じている。実際に三郎景虎は、女性なら誰もがうっとりと見惚れるほどの美男子だったそうだ。 

 神社の由緒によると、神鳥前川神社は【文治三年(一一八七年)五月、武蔵国枡杉城主・稲毛三郎重成により創建された】となっている。鎌倉幕府が誕生した頃である。因みに、枡形城は小田急・向ヶ丘遊園駅近くの生田緑地の中に城址公園として残されている。

 続いて【天正十年(一五八二年)火災により社殿が焼失し、当時この地を治めていた上杉影虎(謙信の子)が社殿を新しく建立寄進し…】と記されている。

 上杉謙信の子の影虎といえば、小田原北条氏三代目・氏康の七男(八男とも)で、謙信の許へ人質に出された上杉三郎景虎しかいない。(ドラマでは、北条氏秀ということになっているが、この説は近年否定され、別人だということになっている)

 北条氏康の子として生まれた三郎は、六歳で僧侶になるため箱根の早雲寺に預けられる。のちに北条、武田、今川の三国同盟により、信玄の養子(人質)となる。しかし、七年後に三国同盟が決裂、小田原に帰され、ふたたび早雲寺で修行…かと思いきや、翌年、二人の息子を同時に亡くした北条幻庵(げんあん)に請われて、彼の婿養子として小机城に入る。晴れて一国一城の主、小机衆を束ねる立場となったのである。(北条幻庵は、初代・北条早雲の三男。つまり大叔父にあたる)

 大河ドラマ登場人物ゆかりの神社なら、一度足を運んでみなくてはいかんだろう。もしかしたら、ドラマの最後のナントカ紀行に、紹介されるかも…という大河ファンの皆さんの期待に水をさすようで申し訳ないのだが、この話を素直に信じるわけにはいかない。

「じゃあ、宮澤さん。上杉景虎が寄進をして社殿を建て替えたんじゃないんですか?」

「それが、景虎が小机城にいたのは、半年にも満たないんです。結婚したのが十二月、その翌年の春には、人質として越後に向かっていますから」

「せっかく、城主になったのに、半年も経たないうちに、また人質ですか?」

「四代目の氏政が、自分の子供を人質に出したくなかったというのが理由らしいですよ。景虎は弟といっても、側室の子ですからね」

「しかし、わずかな間でも小机領を治めていたわけですから、寄進をしてもおかしくないわけですよね」

「それが無理なんですよ」

 火事があったのは、天正十年。その三年前の天正七年(1579年)に起きた御館(おたて)の乱で景虎は亡くなっている。死んだ人間が寄進できるわけがない。

 越後では謙信から「景虎」の名を与えられるほど可愛がられた三郎だったが、天正六年(1578年)、謙信が病没すると、同じ養子である上杉景勝との間で家督相続の争い(御館の乱)が起こる。景虎はその戦いに敗れ小田原に逃れる途中、家臣の謀反によって命を落とした。享年二十六歳。薄幸の美将。戦国の荒波に翻弄されただけの短い生涯であった。

 上杉三郎景虎に関しては、近衛龍春氏の長編時代小説【上杉三郎景虎】に詳しく描かれている。天地人をご覧になるなら、この本をぜひ読んでいただきたい。当時の相模、甲斐、越後の情勢や合戦一つ一つ、登場人物の機微など、膨大な資料を基に書かれているので、時代考証にイマイチ問題のある天地人を遥かに面白い。神奈川県人には必読の書である。
 

シトドは霊鳥
「景虎じゃないとすると、社殿を建て替えたのは、誰なんですかねぇ?」

「もしかしたら、小机城の城代であた笠原氏が三郎名義で寄進したということも考えられますけど…。う〜ん、どうなんでしょう? 言いたくはないですけど、神社の由緒って正直あてにならないですからね〜」

 250年後に編纂された『新編武蔵風土記稿』の恩田村の項にも【北条分国の頃は小机の内恩田百廿七貫八百七十四文三郎殿と記せり、是によれば三郎影虎が知行なることしらる】とある。果たして、この三郎影虎が、たった四ヵ月ほどしか小机にいなかった上杉三郎景虎なのかどうか? ○○紀行に小机城が出てくるのを待ちましょう。

 景虎と関係が無いとしても、神鳥前川神社には見るものがいくつかある。その一つが天保十年(1839年)に作られたという大幟(のぼり)。この大きさは関東一と伝えられている。

 もう一つは、恩田配水池近くから移された下恩田の富士塚だ。社殿の左に回り、渡り廊下をくぐった裏手に、石とコンクリート製の富士塚はあった。移された石造物は塚の回りに配置され、周囲に注連縄が張り巡らされている。

「なんとも不思議な空間ですねぇ。不思議といえば宮澤さん、神社の名前シトドは白鳥(シラトリ)が訛って付けられたそうですね」

「う〜ん、それはどうですかねぇ。本来は、巫女さんの巫の字に鳥『鵐』でシトドと読みます。アオジ・ホオジロなどの小鳥の古名ですね。『鵐』は霊鳥だから神の鳥と書くようになったんじゃないでしょうか。白鳥は祭神が日本武尊(ヤマトタケル)になっているので、死んだ時に白い鳥に姿を変えたという日本書紀の記述から引用したんでしょう」

 神社を後にして、恩田茶屋があったところまで戻る。大山道はここから西に向かい、恩田大橋のところで国道と交差し、そのまま反対側を国道と並行して続く。

 ということで、私たちも再びトンネルをくぐり、246号の反対側に出て歩道を歩くことにする。 恩田大橋を渡ると、すぐ右下に並行した道があった。対向車が鬱陶しいのでその道に下りて国道と畑の間を歩く。

 200メートルほど進むと青、赤、黄色の派手なマンション。そのマンションを過ぎると、高さ三メートルほどの石垣が現れた。石垣の上には鬱蒼とした雑木。その中になんだかオンボロな小屋がある。

 さらに歩道を五十メートルほど行くと、戻るような形で、その小屋に向かう坂道があった。坂道は小屋で行き止まりになっている。

 実はこの道こそ畑とマンションから続く大山道の旧道なのである。坂を上って行くと、小屋の前には大量の藁が敷きつめられていた。

「めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜」

 その時、小屋の中から聞こえたのは、まぎれもなくヤギの鳴き声であった。     

                                              つづく

 

※荏田宿〜長津田までの地図をクリアファイルブックに綴じたもの。現在恩田まで完成しています。それ以降の地図は連載にあわせて随時お届けします。

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