| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2009年3月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■街道を往く 大山街道編 16
埋もれた石塔
さて、恩田大橋を渡り、国道二四六を200メートルほど進んだところにわずかに残る旧道跡。坂道を上ると、行き止まりはトンネルのような小屋。その中から聞こえてきたのは、まごうことなきヤギの声であった。 少し高くなった藁の上に上り、木の柵の隙間から覗くと、立派な角を持った白いヤギがいた。「めぇぇぇ〜」とモノマネしてやると、照れたような眼差しで下を向いてしまった。 すると今度は、下の方の隙間から黒い物体が現れた。なんとブタだ。 「おおおっ!」思わず後ずさりしたら、そこには二羽、ウサギがいた。 「な、な、なんだ、ここは!」
「驚きましたねぇ。誰か人はいないんですか?」と津屋さんに聞かれ、回りを見渡すが、人がいる気配はない。 とりあえず「こんにちは〜」と声をかけてみる。「めぇぇぇぇ〜」と白ヤギさんから返事が返ってきた。し〜かたがないので、お手紙…じゃなく、一旦外へ出た。 よく見ると、左側の崩れた壁というか崖の中に石塔が埋まっているではないか。「十三…? いや、二十三夜塔」だ。 二十三夜塔とは、「月待ち」の行事である。「三夜待ち」「産夜」とも呼ばれ、多くは女性のための講だ。塔は庚申講と同じで、地元の講の人たちによって建てられる。 「こちらには、庚申塔がありますね」
二十三夜塔のすぐ隣には、磨耗して、のっぺらぼうになった青面金剛像もあった。どちらも、土砂崩れの被害にあったように土の中に埋もれている。 「この石塔を見れば、ここが旧道跡だと納得しますけど…、この状態はさすがにヒドイ。もう少し何とかならないものですかねぇ」 小屋の前に坂道があったので、上って行くと敷地の出入り口と思われる場所に【塗装店】の看板があった。話を聞こうと思ったが誰もいない。どうやら人は住んでいないようだ。
あとから聞いた話だが、かつては牛もいて、国道を走る車からその姿を確認できたそうだ。また、旧道の裏山は、地元で「かぶと山」と呼ばれていて、昔は近所の子どもたちがカブトムシを取って遊んだという。ただ、気味の悪い雰囲気が漂っていたらしく、親からは、遊びに行かないようにと釘をさされていたそうだ。
片町地蔵と鎌倉道 本来の旧道は、今の坂を下りてきてそのまま国道二四六号の向こう側に出る。国道沿いを百メートルほど進み、ふたたび国道を斜めに横切って片町交差点から、右斜めに長津田駅方面に向かう。 「片町というのは、この道の片側だけに家が建っていたからだそうですよ」と津屋さん。 「あ、そうなんですか。片町といえば、金沢の繁華街を思い出しますね。確かあそこも片方に家が並んでいたから付けられた町名のはずですよ」
緩やかな坂道の途中で横浜線のガードをくぐる。「青山ガード」と呼ばれるこのガード、こちら側は昭和五四年に複線化したときに増設されたコンクリート製だが、向こう側半分は、横浜線開業当時の石の橋脚だ。鉄錆びの茶色いシミが、百年という長い歳月、鉄路を支え続けてきたことを物語っている。 さらに上って行くと、三叉路に出た。左に下りていく道が二四六へ抜けるバス通りのため、狭い道にもかかわらず、やたらと交通量が多い。 三叉路の角に片町地蔵堂がある。中に祀られている三体のお地蔵様には、ピンクの水玉模様の可愛い前掛けが着せられていた。 「あら、このあいだ来た時とは違う柄ですね」と津屋さん。
「常に誰かが着せ替えているんでしょうか?さっきの庚申塔とは、待遇が違いすぎますね」 片町地蔵は別名「道しるべ地蔵」と呼ばれ、お地蔵さんの台石には「向かって右かな川 左みぞの口」、「南つる間 東江戸道」と記されている。 「溝の口と江戸道は、今通ってきた道ですね。鶴間はこの先ですけど、右の神奈川道っていうのは…」
「このバス通りですね。津屋さん、じつはこの道、鎌倉道の一つなんですよ。別名『重忠(しげただ)道』といいます」 鎌倉街道編で何度も書いたが、清廉潔白な性格で「鎌倉武士の鑑」と言われた畠山重忠は、将軍頼朝が亡くなった後、執権北条氏の妬みを買い、謀略によって鶴ヶ峰で一族郎党もろとも殺されている。 (因みにその時、重忠を裏切って北条の手先になったのが、神鳥前川神社を創建したと伝わる重忠の従兄弟、稲毛三郎である) 「あれっ、重忠が鶴ヶ峰に向かった道は、鎌倉街道の中ノ道じゃなかったですか?」
「ええ、そうです。重忠道というのは、荏田から川和を通って鶴ヶ峰に続く中ノ道と、府中から町田、瀬谷を抜けて鎌倉に向かう上ノ道とを結ぶ間道なんです。重忠は、埼玉の嵐山から成瀬辺りまで上ノ道を南下し、この道を抜けて中ノ道の鶴ヶ峰に向かったんですね」 国道二四六の南側、現在の「いぶき野」を通って横浜線に沿いに長津田から十日市場方面に向かうと。その途中で東名高速道路のガードをくぐる。 その辺りを北の門と書いて「ぼっかど」と呼ぶ。本来は「牧門」と書いたらしい。たぶん、馬牧があったのだろう。 間道は、その北門から南に下り、三保市民の森やズーラシアの敷地を抜けて鶴ヶ峰に通じている。また、北門から東に向かうと、十日市場、西八朔の中央、北八朔の北部を抜け、鶴見川を渡って川和でやはり中ノ道につながる。 片町地蔵から鎌倉街道の古道(大山街道)を長津田に向かってさらに進むと、右側に常夜灯が見えてきた。長津田宿である。
つづく ※荏田宿〜長津田までの地図をクリアファイルブックに綴じたもの。現在恩田まで完成しています。それ以降の地図は連載にあわせて随時お届けします。
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