| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2009年8月号 |
| 連載十周年記念 |
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■特別編
Y150「ヒルサイドエリア」で「わが街」を語る お客様からお借りした写真を元に、現在の写真を撮り、当時のエピソードをお聞きして、急激に変貌していった「わが町」の歴史を振り返るというコーナー「わが町今昔」も今年の10月で十年目に突入する。 ひろたりあん通信の記事の中でも特に好評を頂いているこのコーナーを、私が専属で任されてから、かれこれ七年になる。
こだわりは命がけ かつて山や丘の上だった所は、削られて、ほとんどが住宅やマンションになっている。 同じ所から撮影しようと思うと、見知らぬお宅のチャイムを押し、「すみません、ひろたりあんですが…」と事情を説明して部屋に上がりこむことになる。迷惑な話であるが、皆さん快く通してくださるので、本当に有り難い。 問題は、都合よく建物などが建っていない場合だ。これは本当に苦労する。カメラ片手に電柱や柵に上り、お巡りさんに職務質問されたことも二度ほどあるし、マンションをウロウロしていて、管理人さんから変質者に間違えられこともある。一歩間違えば両手にワッパがかかっていたところだ。 またある時は、ジャッキー・チェンさながらに、マンションの屋上の柵に命綱をつけて挑んだ。ビュンビュンと強風に煽られながらの撮影は足はガクガク、冷や汗たら〜り、一歩間違ったら頭の上にワッカがかかっていたところだ。 何もそこまでと思われるだろうが、この企画の趣旨からいっても、これだけはこだわっていきたいと思っている。 横濱写真アルバム 開港から現在に至るまでの横浜の歴史を記録した写真を募集してウェブ上で公開し、魅力ある郷土の共有財産として残していこうと、横浜商工会議所、横浜開港150周年協会、横浜港振興協会、そして横浜市が主体となって行っている「みんなでつくる横濱写真アルバム〜市民が記録した150年」というプロジェクトがある。 開港150周年事業の一つだが、そのプロジェクトの実行委員会から、ヒルサイドエリアで開かれるトークショーへの出演を依頼されたのだ。 高丸登場! Y150の総合プロデューサーO氏と司会の女性、そして投稿者を代表して二人の男性が登場し、大きなスクリーンに映し出された投稿写真を見ながら座談会形式で進められた。 御ふた方とも、元町、山手、本牧といった港周辺の写真を投稿されているので、戦後間もない頃の港ヨコハマの話がメインになる。投稿者の話が一段落着いたところで、いよいよ私の登場となった。 スクリーンに「ひろたりあん通信」のホームページが映し出される中、まずは自己紹介。廣田新聞の歴史とミニコミ紙発行の経緯を説明したあと、ランダムに映し出される「わが町今昔」の画像、司会者の質問に答えながらひとつひとつエピソードを語っていく。
わが町の誇り 続いて、30年前のたまプラーザ駅の写真、東急SCの場所は広い空地だった。 開発造成途中の美しが丘の町は大雨が降ると、長靴をはかなければ歩けないほどぬかるんでいたので、通勤客のために駅に下駄箱が設置され、靴を履き替えて会社に行ったという話にこれまたびっくり。 ヒルサイド会場なので、港の昔話よりもお客さんの興味を引く。
次の昭和三十年代後半の元石川の写真には、早渕川沿いの道を走るバスとトラックが写っている。 真ん中にある石の灯篭を指差し、幕末に江戸の薩摩屋敷にあったといわれる灯篭だと説明。もしかしたら「篤姫」が触ったかもしれないという話には、先ほどの投稿者のお二人も身を乗り出して聞いていた。
そう、横浜開港・開国よりも、青葉区や都筑区の歴史は古くて深いのだ。 点在する古墳や古街道、人々の暮らしや文化、開発で急激に変貌していった町並み。写真について語りながら、あらためて自分の住んでいる街に誇りと愛情が湧いてきた。 短い時間だったが、それを主催者や他の地域から訪れたお客さんに知ってもらえただけでも、今回のトークショー出演は意義があったと思う。 意義があったといえば、竹の海原会場で展示を行っていた「大山街道発見の旅」も無事に二週間の出展期間を終えることができた。
会場に足を運んで下さった皆様、展示その他にご協力いただいた「まっぴい・青葉の街」「あおば紙芝居一座」の皆様。 そして、NHK杯全国高校放送コンテストの参加でお忙しい中、お手伝いいただいた元石川高校の川又先生および生徒の皆さん。心よりお礼を申し上げます。有難うございました。
Y150・ヒルサイドエリア「大山街道発見の旅」の様子
荏田から長津田までの地域コーナーを担当しました。 |