■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2010年8月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 八王子編 Vol.1 

八王子の由来
 八王子城跡は、中央自動車道・八王子JCTを挟んだ高尾山の真北にある。JR高尾駅から見ると、西北西2.5qの位置だ。

 小田原北条氏が戦国時代に築いた関東屈指の山城には、十数年前に登っている。その時のことを思い出した途端、ノドの奥に不快感が甦ってきた。

 忘れもしない三月のお彼岸である。何故季節を覚えているかというと、墓参の帰りだったからである。

 私の祖父母と伯父の墓は、八王子の川口町というところにある。伯父が亡くなって、親戚兄弟のほとんどが東京に居を移したということで、二十年ほど前に長野県の善光寺から改葬した。

 今でも年二回の墓参は欠かさない。初めの頃は、八王子という町がめずらしいこともあり、墓参のついでに周辺の史跡や城跡を訪ねたり、美術館に立ち寄ったりしていた。

 城跡には、高尾駅から徒歩で登った。

 ストリートビュー(ネットの地図、周辺の風景まで見ることができる優れもの)を使って、当時のルートをおさらいしていて気がついたのだが、東京造形大学のキャンパスが無くなっていた。

 17年も前に横浜線相原駅の北側に移転していたのだ。

 ちょうどあの日は、造形大学で自主制作映画の上映会が開かれていた。八王子城を訪れたのも、墓参とそのイベントの両方のついでという一石三鳥の都合があったからだ。

 確か映画を観ている時はなんでもなかったと思う。大学を出て、坂を上り、舗装道が途切れたあたりからおかしくなった。

 咽喉がむず痒くなり急に咳が出はじめた。山道を進むにつれ咳はどんどんひどくなる。眼下に八王子の町が望めるほどの高さまで登った頃は、まともに息も出来ない状態。

 目からは涙。空気は澄んでいるはずなのに…、5秒と我慢していられない。こんなに咳き込んだのは、生まれて初めてだ。痰もからむ。吐いても、吐いても…、持ってきたティッシュじゃ間に合わないので、タオルを使う。まわりに人がいないのが、ある意味救いだった。

 それでも、なんとか頂上に辿りついた。しかし、周りを散策する気力もない。九合目に高丸と呼ばれる曲輪(くるわ)跡があったが、そこも素通りしてしまった。(もっとも、当時は私自身が高丸というペンネームを使ってはいなかったが…)

 山頂の八王子神社には、手を合わせた記憶がある。平安時代、京都からやってきた妙行(みょうこう)という学僧が、この深沢山(標高445m)山頂の岩屋で修行をした際、深沢山を天王峰、周囲の八つの峰を八王峰と呼んで、牛頭天王と八王子を祀ったのがきっかけで八王子信仰が広まった。

 その670年後、小田原の北条氏康の三男・氏照が、豊臣秀吉の軍勢を迎えうつため、それまで使っていた滝山城を捨て、新たに深沢山に城を築いた。

 この時、八王子権現を祀る八王子神社を新しい城の守護神とした。これが八王子という地名の起こりである。

悲劇の城
 神社を拝んだところで力尽きた。ベンチに腰をかけ、少し落ち着いてから、本丸を見ることなく下山した。

 駅前の薬局で咳止め薬を買って飲んだのが効いたのか、帰宅した頃には喘息は鎮まっていた。それにしても、あれはいったい何だったんだろう?

 天正十八年(1590)、小田原城を攻囲した豊臣秀吉は、関東における北条氏の支城攻略を並行して行った。この時、八王子城を取り囲んだのは、前田利家、真田昌幸・幸村親子・上杉景勝、直江兼続主従といった、大河ドラマの主役級の武将たちだ。

 対する北条側はというと、城主の氏照が精鋭を引き連れて小田原城に参陣していたため、わずかな兵しか残されていなかった。

 あとは婦女子と、緊急に徴兵された領民たち。なかには、鍛冶師や大工や修験者などもいた。これではオールスターキャストの豊臣の大軍に立ち向かえるはずもない。

 安土城を参考にして築かれたという壮大な山城も、たった一日で落城した。

 調べてみて驚いたのは、この合戦における言い伝え…いわゆる落城伝説の多さである。

 そのほとんどが、武将の姫君や氏照の側室など、女性にまつわる話。 「悲劇の城」と呼ばれる所以である。

 落城に際しては、氏照の正室をはじめ、ほとんどの女性が自刃もしくは、御主殿の滝に身を投げたという。

 自刃という言葉に身震いが起きた。

 女性が自刃するときは短刀で咽喉を突く。咽喉…まさか。 現在、八王子城は関東有数の心霊スポットなんだそうだ。夏休みなどは、興味本位の若者が夜な夜な集まって肝試しをするらしい。こんな話を聞くと、この時の喘息も霊的な何か…? なのかと思ってしまう。

 全国の城跡を500近くも訪ね歩いていると、奇妙な体験にたびたび遭遇する。

 琵琶湖のほとりの小谷(おだに)城を訪れた時も、下山してから急に悪寒が走り、大津のホテルで一晩高熱にうなされた。

 この時も翌日にはケロッと快復していたから不思議だ。

 先述の滝山城を訪れた時には、城跡に足を踏み入れた途端に、ザァッと大雨が降りだして、売店でダンボールの箱を借りて逃げ帰ったことがあった。

 拍手を打った瞬間、雷鳴が轟き、どしゃぶりになったという神社も一度や二度じゃない。

 別に霊感が強いわけではないのだが…。さる霊能者に、城跡や戦場跡に行く場合は「赤い物をなんでもいいから身につけると良い」と言われた。

 最近は有名人の墓巡りがブームだとか。行かれる時は、ハンカチでもシャツでもパンツでもいいので赤い物を身につけるといいらしい。

 神社や寺や戦場、どこに因縁が潜んでいるか知れないのだ。

 北条氏が滅び、徳川家康が関東に入ると、代官の大久保長安(おおくぼながやす・
武田家滅亡によって徳川家に仕え、関東総奉行から金山奉行となり、石見銀山・佐渡金山などの鉱山開発で功をあげた)は、現在の八王子市街地に新しい横山十五宿(八王子宿)を造った。

 この宿が甲州街道最大の宿場町として、また物資の集散地として栄えたことで、八王子の中心はおのずと西に移りった。

 その後、天領となった城跡周辺は「元八王子村」と呼ばれるようになった。



つづく  


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