■ひろたりあん通信バックナンバー
 ▼2010年10月号
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
木製たてぐの店 野口建具店 

  取締役 野口 勝一 さん

腕をみがく
 「「野口ケング店ですね」

 某レストラン、領収書を書いてもらおうと、レジの若者に名刺を差し出すと、彼は何の躊躇いもなく、そう読んだ。

「がっかりしたなぁ(笑)」

 苦笑しながら、そう語るのは鴨志田町にある「野口建具(たてぐ)店」の創業者、野口勝一さん。

 「教えてやんなきゃいけないからね。(笑)あなたトイレ入るでしょ?その時に扉が無かったらどうすんの?困るでしょう。そのドアを作る仕事がタテグ屋さんですよ、ケング屋とは言わないよって、後にお客さんがつかえていたので、それを気にしながら手短に教えてあげたんですよ(笑)」

 簡単に言えば、ドア、引き戸、障子、襖など、住宅の中で開けたり閉めたりして動かす物を建具という。野口さんのご出身は、その建具産業が盛んな【建具の里】埼玉県都幾川村(ときがわむら=最近、隣の村と合併し「ときがわ町」となった)である。  

「二年だけ東京に腕を磨きに行くと言って出てきたんですけどね。建具というのは細かい作業ですから、かなり極めないと良い物はできない。五年くらいやって、仕事に自信が出てくると、今度は欲が出てくるんですよね」

 板橋、笹塚、渋谷、浅草、向ヶ丘遊園、杉並、自信と腕を磨くために都内各地を転々とされた。しかしそれは、あくまでも前向きな思考からである。

「職人ではなく、自分で商売を始めたかったからね。田舎に戻れば、腕がいいというだけで終わっちゃうんですよ。古い言い方をすると、職人に舐められちゃいけない。(笑)人を使えるだけの腕と自信を持つということですね」  

 宵越しの金を持たないという職人の世界にあって、自分の夢のために堅実に仕事に励んできた野口さん。その甲斐あって、ついに念願の店を柿生に出すに至る。

「柿生で五年、鴨志田に移ってからは四十年になりますね。長男で出てきたという後ろめたさがあったので、親の家を小さい平屋ではあるけれど、最初に建ててあげたんですよ」

 八人姉弟の六番目、自分のほかはすべて女性という家庭に生まれた。子どもの頃から手先が器用で、物作りが好きだったそうだ。

「だけど、この腰板(建具の下部に張った板)には負けたね。これは神奈川でも出来る人はいない。他のことでは負けないんだけどね」

 そう言って目を細めながら指を差したのは、居間の入口の引き戸。全国大会にも出品された作品だ。

職人の目
「上の部分は、三ミリの捻(ネジ)組。これは中々真似できない。息子を褒めるのも何だけどね(笑) 仕事に支障が出ないように、終わってから毎日二時頃まで作業していたんですよ。チャレンジ精神っていうのか、真面目なんだね」

 大学を卒業されたあと、自分の仕事を継いでくれた息子さんには絶大な信頼を置いている。

 「目標を達成して、息子が二代目を継いでもらったのが救いだね。私なんか運がいいほうかな。欲を言ったらキリがない。やっとこれで女房に恩返しができる。温泉にでも連れて行ってやろうかって思っていたら、癌になっちゃった(笑)」 

胆管(たんかん)がん、四ヶ所に転移して最後はすい臓にまで達したという。手術をするため入院し、半年前に退院された。

その時、野口さんを元気づけたのは、演歌の大御所からいただいた励ましの言葉であった。

「後援会に入って二十五年だから、よく話しかけてもらうんだけど、鳥羽一郎さんから『野口さん、心配しなくても大丈夫だよ』って言葉をかけてもらったんですよ。『恐がってばかりいないで、好きなこともやった方がいいよ』ってね。嬉しかったな〜。退院して半年、もう大丈夫だと思うんですけどね。よほどバカなことをしなけりゃ(笑)これからが私の後半の人生ですからね。大事に行こうと思ってます」

 御年七十二歳、大好きなカラオケと家庭菜園が心にも身体にも好いと笑う。 

「でもやっぱり、なんだかんだ言っても女房ですよ…最後は。大変な時に支えてくれたのも女房、苦労させたからねぇ…」

 インタビューのあと、日本三大名木(木曽ヒノキ、秋田スギ、青森ヒバ)や関東の杉と秋田杉、九州の杉の違いについてもご教示いただいた。

 「木は木の文化があるんですよ。日本で育った木は日本で使うのが一番いい。埼玉や神奈川の地杉には、秋田スギに負けないいいものがあるんですよ」 

最後は優しい夫から、厳しい職人の目に戻っていた。

高丸


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