| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2010年11月号 |
| 夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜 |
■日本画家 岡 信孝 さん![]() 〆切を一日遅らせてでも(行くべきだ!) そう決心して電車に飛び乗り向かったのは、小田原市板橋の『松永記念館』。 「夢見遊山いたばし見聞楽・特別展」の最終日に、なんとか間に合うことができた。 来てよかった― 徹夜明け、小田急線の電車内で仮眠をとっただけの朦朧とした頭が、作品を目にした瞬間、冴え冴えと澄みわたり、萎れた心と体は、生命感あふれる草花の絵によって、たちまち精気を取り戻した。 展示室を出ると、池のほとりに先生のお姿。 「やぁ、来ていただけたんですか」 四日前にご自宅に伺った時のように、温かい笑顔で迎えて下さった。
日本画の心 龍子とは、もちろん、日本画の巨匠・川端龍子。青龍社は、龍子が創立した団体である。 「六十畳もある画室の片隅で『描け』と、修行ですから『見て覚えろ』と、側で見ていると今度は『あっちへ行け』ですからね(笑)盗み取る、それが基本でしたね。 母屋にお昼を食べに行って、帰ってくると、『駄目だよ』と、お昼を食べている間に見ているんですね、僕の絵を。駄目だから『洗え』というので洗うと、『馬鹿だな、いいところ全部消しちゃった』と言われるんですよ。(笑)『いいところを残して、悪いところを洗うんだ』と、だけど、悪いところは教えてくれない。(笑) 本来の日本画の指導というのは、そういうものだったんですよ」 テクニック優先の現在の絵画教育とは一線を画す厳しい世界。その厳しい内弟子時代の逸話の中に、龍子のユーモアと、孫に対する期待と愛が垣間見え、胸が熱くなった。 昭和四十一年、龍子が亡くなると、青龍社は解散、以後は無所属となる。
「亡くなる一年前に、おまえは一人でやれという命令があったんですよ。団体に所属するな。青龍社は解散して、自分は墓場に持っていくと、そういうことで、団体とかには所属しなかったんですね」 個展主義を貫き、高島屋を中心に、箱根・芦ノ湖の成川美術館や三越などで個展を開催。川崎市文化賞を受賞。長野・善光寺や芝・増上寺の襖絵や天井絵などの制作もされている。 「大観をはじめ、玉堂、青邨、古径…、書生の頃は大家がみんな現役でいらしたわけですよ。それに追いつけというしかなかったですね。方向性がはっきしていてやり易かったかわり、追いつけないということは分かっていました。それこそ『夢』でしたよ(笑)」 それから六十年。今や、岡先生ご自身が現代日本画の巨匠。後進たちの目標である。 「いま七十八歳なんですよ。もうそろそろ御仕舞いだから、あんまり夢は持たない。(笑)ただ、一人でやってきたから、十年先を読むんですよ。すると、そこから逆算して一年一年をどうやって行くかということが見えてくるんです。 奈良を十年やって、その次に京都を十年。そういう計画を持たないと、自分が何をやっているか分からなくなるんですね」
落穂拾い それでね、巨匠たちが何かやり残していったいったものはないかと考えたんですよ。巨人は大きいから、歩みが大きかったろうと、踏み残しがあるだろうと、それを埋めていくと同じ所へ行くという発想でね。それで、自分を(落穂拾い)としたんです。じゃ、踏み残しとは何か?これが『無駄』なんですね。しめた!いいもの残してくれた、と(笑) それで、コレクションを始めたんです。美しいものを見いだすわけですから、、その眼を鍛えなくちゃいけない。厳しい師匠なんですよ」 といっても、決して高価な物ではない。自在鉤、神楽面、墨壺、鳩瓦…。応接間に飾られていた江戸時代の鍋蓋は、なんと百円であった。 「百円で二百年生きているんですよ(笑)」 鳩瓦…どんな高価な美術品かと思っていたら、奈良で見つけた骨董品。古い民家を解体したときに、はずされた鳩のかざり瓦だとのこと。苔むしていて、なんとも言えない味わいがある。 「物には命があるんですよ。欠けて使えなくなった茶碗でも、命がある。命があるから美しいんですよ」 岡先生は、それを『雑美感』と表現された。 日用品の中に『美』を見出した柳宗悦が『民芸』という言葉をつくったように、岡先生が長年にわたる『美』の探求においてたどりついた、上手(じょうて)と下手(げて)の中間…それが『雑美感』である。 「そのモノが欲しいという気持ちは、すでにそのモノに負けたということなんですね。だから、自分のモノにして、食ってしまおう(笑)負けたんだったら、自分のモノにしてしまえばいいんですよ(笑)」 祖父の龍子は、コレクションは「するな」と言い。義父の浜田庄司は大いに「しなさい」と言う。その両方の顔をたてるため、集められた収集品は、惜しげもなく美術館などに寄贈されてしまったそうである。
神楽面80点は、イギリスの大英博物館に寄贈され、特別展も開催された。また、長野県須坂には、岡先生のコレクションが集められた『岡信孝コレクション、須坂クラシック美術館』まで造られ
ている。 じつは、その美術館に(行ったことがあった)と、ギリギリになって思い出した。たしか長野オリンピックの翌年だったと思う。須坂駅の近く、明治期の製糸家の古民家を改造した 美術館があった。帰りに受付の女性と談笑して帰ったことまで思い出した。 あれが、そうだったのだ…う〜ん、不覚。 「岡先生は、朱鷺(とき)なんです。日本画壇の生きた歴史をつぶさに見てこられ、その精神を受け継がれている最後の方なんです」 と、私に囁かれたのは、特別展に先生と一緒に出展されていた小田原在住の芳澤一夫先生。自分の描いた朱鷺の絵(さだまさしのCDジャケットになっている)の前で、「お話を聞かれたら、ぜひ、本にして残してください」とお願いされてしまった。 私にとって、岡先生は朱鷺ではなく「旬(とき)の人」。貴重なお話の一つ一つが、新鮮な驚きとともに心に響き、それはそのままこれからの人生の道標のように感じられた。 落ち着いたら、ゆっくりと先生の絵を鑑賞したいと思う。
それにしても人の縁とは不思議なもの。ご紹介くださった吉村米壽先生、心より感謝いたします。 高丸 【松永記念館】
1959年、実業家で茶人の松永安左ェ門、号は耳庵(じあん)が
安左ヱ門の居宅「老欅荘」(写真)、茶室「葉雨庵」など
歴史遺産の数多く残る「板橋」周辺の町並みも含め 松永記念館 пEFAX 0465-22-3635 住所 小田原市板橋941番地1
歴史探偵・高丸の思いつくままの漫筆、雑筆 |