■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2011年7月号
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
ナチュラルリースアーティスト・アトリエ Mavie(マーヴィー)主宰  
 野口 多鶴子 さん

「冷蔵庫と野菜が欲しいんです」
 
 ボランティアで宮城県石巻の小学校を訪れた野口多鶴子さんの切実な願いである。

 「私のことはいいから、とにかく被災地のことをお伝えしてください」

 そう言われても、野口さんがどういう方なのかをご紹介しなければ始まらない。本職はフラワーアレンジメント。ナチュラルリースアーティストとして本も出版され、テレビにも数多く出演されているので、ご存知の方も多いのではないだろうか。

 お子さんが幼稚園の時に道端で摘んできたタンポポをなんとか長持ちさせられないか?と思い、ジャムの空き瓶に海苔に付いている乾燥剤と一緒に入れて蓋を閉めておいたら可愛いドライフラワーになっていたというのがきっかけ。

 「それがすごく面白くなって、子どもが毎日とってくる花でちっちゃなリースを作りはじめたんです」

 それがフランスの輸入雑貨キャトルセゾン(自由が丘)のオーナーの目にとまったことで、本格的な作品作りを始めることに…。フィガロなどの有名雑誌に取り上げられ、その後インテリアコーディネーターとしての才能も認められるなど、マルチな才能が次々に開花。今やテレビ、CM、舞台、プロモーションビデオなど、関係各方面からのオファーが引きも切らない。

 それに加え、現在は俳優さんやタレントさん、スタッフの方に料理を提供するケータリングの仕事もされている。それほどお忙しい野口さんが、何故ボランティアで被災地の石巻へ行かれたのか?

誓い 
 「原発の事故のあと、子どもと母親と猫を連れて九州の方に逃げたんですね。放射能から家族を守るために…。父親の実家で毎日ニュースにかじりついて見ていたんです。心の中に重たい塊…たぶん、罪悪感があったんですね。震災の起きた場所で苦しんでいる方がいらっしゃるのに、自分は家族を連れて逃げている。その時、思ったんですね。必ず被災地に行くって、一人の人でもいいから助けるって、誓ったんです」

 誓いが現実のものになるのに、それほど時間はかからなかった。

 「北海道に住んでる彫刻家の友達が石巻の小学校にモザイクタイルのワークショップ(授業)をしに行くということなので、北海道から四名、そして私が横浜から一人でヘルプに行ったんです。三年生から六年生までの授業に参加させていただきました。心に誓ったことがやれるっていうことで、とても清々しい気持ちだったんですね。行くときは…」

 東北に行くのも初めてなら、一人で行くのも初めて、道を間違え、一つ手前のインターで降りてしまったそうだ。

「ナビは付いているんですけど、道がもう違ってるんですよ。市役所で待ち合わせしたんですけど、全然たどりつけなくて…」

 道を聞くために立ち寄ったコンビニで、外国人から声をかけられる。

 「先導してあげるから付いてきなさいって言われ、車で付いていったんです。道路を隔てた川の向こうに渡ったら、まったくの別世界。右も左もすべてが、もうめちゃくちゃなんですよ。もう壊滅状態。それを見た瞬間、身体が硬直して運転する腕がふるえてきたんです。そうしたら、前の車が停まって、その外国人の方が降りてきて言うんです。『見てください。ここに僕の会社があったんです』って…」

 外国人が指を差したのは、三〇坪くらいの駐車場。会社の建物は破壊され、コンテナが真っ逆さまにひっくり返っていたという。

 「『この駐車場のガレキの中から、65人の遺体が出てきました。隣のじいちゃんも死んだ。裏のばあちゃんも死んだ。お孫さんも死んだ。みんな死んじゃった。僕だけが生き残ったんです』みんなのんびりしていたそうです。津波警報はいつも聞くので、日常と同じようにしていたそうです」

 大勢の人が亡くなった場所に自分が立っているという現実。思わずその場にしゃがみこんでしまっていた。

素晴らしい子どもたち
 「授業に行くと、子どもたちが寄ってくるんですね。『地震のとき大丈夫だった?」って聞いたら、『ばっばが流された』っていうから、『ばっばって何?』って聞いたらおばあちゃんのことだったんですね。

 『おばあちゃんが流されて、いとこも流されて、お通夜も行ってきた』って、『いとこたちのお父さんとお母さんはどうしてるの?』って聞くと、『元気!』って言うんですね。元気っていうのは生きてるっていうことなんですね。元気なわけないんですよ。自分の子どもが二人も亡くなっているんですから…。

 話してくれた子も、とっても無邪気で明るいんですけど、給食の時間になったら思い出したのか、泣いて泣いて…、給食も入っていかないんですね。お父さん亡くなった。お母さん亡くなったっていう子たちがいっぱいで…、私が授業教えた子たちも、ガレキにつかまっていたりして助かった子たち。命からがら生き延びた子たちなんですね』

 その子たちが歌を唄ってくれた。

 「それが『翼をください』なんですね」

 この大空に 翼をひろげ 飛んでいきたいよ

 悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ  

 もう号泣で…。一生懸命生きるぞ!っていうエネルギーでいっぱいで素晴らしい子たちだなって思いました」

野菜を食べさせてあげたい
 「悲惨な給食なんです。こんな大きなお椀に、ご飯と薄っぺらい豚肉が一枚。牛乳。それだけです。身体の大きい子とか6年生はもたないですよ。次の日は、手のひらに乗るようなチョコレートパンと、小さな鳥の照り焼きが一個と…牛乳。ありえないですよ。毎日そうなんですよ。野菜は一切無い。週に一回野菜ジュースが出るくらい」

 その理由を先生に尋ねた。

「四つあった給食センターは全部壊滅で、コンビニからの配給らしいんですね。『野菜とか食べさせたいんだけれど、冷蔵庫が無いから腐ってしまう』っていうんです」 小学校の体育館には、88名のお年寄りが避難生活をしていた。

 「ポリバケツの中に自分たちのペットボトルに名前を書いて、そこに入れてあるんですね。お水は入っているんですけど生ぬるいんですよ。あの広い体育館をね、自分の飲み物を取りにわざわざお年寄りが杖をついて来るんです。暑いでしょ、エアコン無いでしょ、窓を開けるとハエと蚊と砂埃が入ってくるんですよ。びっくりしました。あの劣悪な環境には…」

 全国から食料品が届くが、冷蔵庫が無いため、すべて廃棄処分にされるという。

「ですから今、あちこちに声をかけてるんです。冷蔵庫ないですか?って、大型の業務用の冷蔵庫が余っていたら教えてください。私たちで運びますから」

 子どもたちに、野菜を食べさせたい。キュウリもトマトもスイカもまるかじりさせてあげたいと野口さん。

 「行ってきたから一時的な感情だって言われるかもしれないですけど、一時的でもなんでもいいんです。一人でも笑顔にしてあげたいし、助けてあげたい。一時的な感情のボランティアであっても、そういう人が一杯いたら、被災地の人たちの力になれるんですね。みんながそういう気持ちでいたら、大きなものになるんです」

末ながく…
 下の四枚は、児童108名中68名が死亡、六名が行方不明となった石巻市の大川小学校の写真である。

 

「泥の中にあったカセットテープをぬぐってみたら、タイトルが『上を向いて歩こう』だったんです。みんな元気にこの曲を唄っていたんだろうなって思うと…、みんな上の方に行っちゃった…。悔しいですね…」

 九月には、子どもたちに苔玉作りを教えに行くという野口さん。

 

「石巻に通うことを決めました。自分の出来る範囲で、末ながくやっていくつもりです。私と一緒に行きたいという人がいたら、行きましょう」

  震災から四ヶ月。雪が舞っていた被災地も、盛夏を迎えようとしている。季節が変われば、求められる物も変わってくる。

 今、何が求められているのか?出来れば現地に足を運んで確かめて頂きたい。それが叶わぬ我が身は、広報支援に力を注ぎたいと思う。末永く…。

 

                                              宮澤高広

「美味しい給食、ありがとうございました」 

給食に不満を言う子は一人もいない。

この子たちに野菜を食べさせてあげたい! 

冷蔵庫を提供してくださる方がいらっしゃいましたらご連絡下さい。


hirotarian@b06.itscom.net  

ひろたりあん編集部 宮澤まで

 

 


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