■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2011年8月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 青葉区編 Vol.5

 「私は炭焼きのほうが明るい」と、金子武次郎さん。

 戦前戦後、炭焼は農家にとって養蚕と共に貴重な現金収入であった。男は炭焼き、女は養蚕と仕事の役割分担も決まっていた。

「お祖父さんの代からね。山から木を伐って、それを木炭に焼いて売っていた。窯が二つあったからね。結構忙しかったよ。朝暗いうちからさ、父親が炭を出す相手をしてねぇ」

 話の中で何度か「べえら山」という名前が出てきた。「べえら」は雑木のことらしいのだが、その語源については不明だという。たぶん雑木の森や丘、「つまり「里山」のことを地元ではそう呼んでいたのだろう。どなたか「べえら」の意味をご存知の方がいらっしゃたらお教えいただきたい。

「昔は、美しが丘の一丁目、二丁目、三丁目まで人家がなかったからねぇ。あっちもこっちも山だったよ」

 現在、住宅地になっている高台のほとんどが風吹く森「べえら」であった。

 その「べえら山」に入り、木炭にするのに適した、カシやクヌギ、ナラなどの木を順番に伐採していく。これらの広葉樹は、根元から切っても直ぐあとから新しい芽(ひこばえ)が出てきて、10年〜20年程で、また元の森に再生する。順番に伐るのはそのためだ。薪炭採取ばかりではなく、落ち葉や下草は堆肥として利用された。

日本の原風景
「人と自然が約束を交わした場所」

 現在公開されているドキュメンタリー映画・映像詩『里山』の予告編に流れるナレーションである。

 つまり、鬱蒼とした緑の山があったからといって、人の手が入っていなければ里山ではないし、環境保護のために景観やビオトープを残しても、そこに人の暮らしがなければ、里山とは呼べないということだ。

 とは言え、森林が保全管理されて利用されていた時代というのは、日本の歴史においては300年ほどと短い。

 古代から近世に至るまでは、無秩序な伐採による森林破壊によって、里山の大半は草山、禿げ山、痩せた土地でも生きられるアカマツ林だったという。

 森林資源が回復し、継続的に利用可能な里山が生まれたのは、江戸時代半ば、徳川幕府が伐採規制や流通規制を布いたことによる。

 しかし、明治維新で幕府が瓦解すると、たちまち盗伐や乱伐が始まり、再び里山は荒れた。世の中が落ちつくにつれ森林破壊に歯止めがかかったが、太平洋戦争が始まると軍事的な乱伐が始まった。

 戦後、植生の回復をみた里山も、燃料が薪炭から石油やガスに取って代わり、化学肥料の普及によって里山の手入れが行き届かなくなると、たちまち経済価値は失われ、大規模な土地開発が始まると里山の多くは消滅していった。

 わずかに残った里山は別の意味で荒れ放題、密林は人の侵入を頑なに拒んでいる。里山がこれほどまでに樹木に覆われた時代は「弥生時代の初期と平成期だけだ」と指摘する研究者もいる。

 金子さんの瞼の裏に焼き付いている里山の風景と、私たち新住民の思い描く里山の風景が重なりあうことはない。そして、そのどちらの風景も、江姫の領地であった時代の石川村の風景とはかけ離れている。(このあたりが歴史探偵の大きなジレンマであるのだが…)

 里山こそ『日本の原風景』というが、それはいったい何時の時代のことをいうのであろうか?

蚕と馬
 人の手が入らないことで価値が失われたとしても、里山の自然は文字通り、自然のままの姿で生き続けられる。しかし、人が手を貸してあげなければ、決して生きていくことができない生き物もいる。絹糸の生産者・蚕である。

 蚕は鱗翅目(りんしもく)、カイコガ科に属する昆虫で、正式な学名は「カイコガ」という。説明するまでもないが、幼虫である蚕が蛹(さなぎ)になるときに作る繭をほぐした糸が絹糸である。

 養蚕は約4700年前に中国で始められたとされる。クワコと呼ばれる野生の昆虫を数千年の歳月をかけて飼い慣らし、効率良く絹糸を得るために品種改良を積み重ねて、人の手なくしては生存することのできない昆虫につくりあげたのだ。

 蚕を数える時、一匹、二匹ではなく、一頭、二頭と数える。養蚕農家にとっては蚕は家畜。牛や馬と同じように扱われていたのである。

 先月号で馬坂の話を書いたが、家畜である馬と蚕は、実は切っても切れない縁で結ばれている。

 中国は晋(三一七年〜四二〇年)の時代に書かれた『捜神記』という(怪奇)小説集の中にこんな話がある。

 飼い馬が人間の娘に恋をする。これを知った父親が怒って、その馬を射殺し、皮を剥いで庭に捨て置いた。娘が「畜生のくせに人間を妻にしたいなどと思うからこんな目にあうのだ」と言いながら、その皮を足で踏みつけると、たちまち皮は娘を巻き込んで遠くへ飛んでいき、大樹の枝で蚕になった。その蚕がつくった繭は通常の数十倍もあり、太くて丈夫な糸が沢山とれたという。

 『馬頭娘(ばとうじょう)説話』と呼ばれる蚕の起源伝承である。この話が日本に伝わり、『遠野物語』の「オシラサマ伝説」となった。ただ、印象は随分と違ったものになっている。

 中国では、飼い馬が一方的に恋をするが、遠野物語では娘が馬を溺愛し、ついには夫婦に成ってしまう。父親がそれを許さず馬を殺してしまうのは同じだが、皮を剥ぐのではなく、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺し、すがりついて泣く娘を見て逆上、斧で馬の首を切り落としたとある。

 娘はその首に乗ったまま天に昇っていってオシラサマ(蚕の神様)になったというのが伝説のあらましだ。

 このシチュエーションの違いは何なのか?何故、馬と蚕なのか?えっ、あの神様が蚕? 次号、蚕と神話の謎に迫る! …かも。
 

つづく


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