■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2011年9月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 青葉区編 Vol.6

馬は家族
 岩手県遠野のオシラサマ伝説(遠野物語)と、その元になった中国の怪奇小説『捜神記』の馬頭娘説話、前回は、その内容の違いについて書いた。

 一番大きな違いは、中国版が馬の片思いなのに対し、遠野版は相思相愛の夫婦になっていること。その理由は日本人の優しさ、生きものに対する情ではないだろうか。

『捜神記』の話は、大事な場面が抜けていた。馬が娘に夢中になった理由、それは、娘が「遠く離れて暮らす父親を今すぐ連れてきてくれたら、お嫁さんになってもいい」という、いい加減な約束したからだ。

 それなのに、剥がされた馬の皮を足蹴にした挙句、「畜生の分際で…」という暴言。「そりゃぁ、あんまりだ!」と、昔の日本人も思ったに違いない。ということで、生きものに優しい日本では相思相愛のラブストーリーになった。

 遠野に観光で訪れた方ならご存知かもしれないが、彼の地の古い農家の家屋は【曲がり家(まがりや)】といって、母屋と馬屋(厩)が一体化したL字の形をしている。

 

 あ、遠野まで行かなくても、川崎の生田緑地にある日本民家園でも見ることができる。岩手県の紫波町から移築された旧工藤家住宅がそれだ。

 家の中に馬小屋があるという様式は北国独特のもの。

 ようするに、馬は寝起きをともにする家族のような存在だったのだ。馬の話ばかりで申し訳ないが、最後にもう一つ、「何故、馬と蚕なのか?」という謎。これについては二つの説がある。

 蚕は牛や馬と同じ家畜とみなされ、数え方も一匹、二匹ではなく一頭二頭と数える…と、これも前回紹介したが、ようするに、同じ家畜として大事に育てられた仲間だからという説だ。そういえば、たいがいの養蚕農家は住居の二階部分が蚕室になっていて、そこで蚕を育てている。

「まるで雨が降っているようだった」と金子さんは振り返る。雨のようだとは、大量の蚕が一斉に桑の葉を食べる音だ。

 なるほど、馬と蚕と人間が仲良く、一つ屋根の下で暮らしていれば「蚕馬(さんば)合体」の伝説が生まれてもおかしくない…と、納得しかけて、その矛盾に気がついた。

 それは曲り家のように、馬が母屋で暮らす地域での話。そもそもの出典は中国なのだから、この説は説得力がない。


蚕の生態
 もう一つの説。それは馬と蚕がよく似ているからというもの。「似ているか?」と思い、会いに行ってみた。

 横浜開港資料館の隣にシルク博物館がある。絹の歴史を知ることができる記念館なのだが、本物の蚕を観察し生態などを知ることもできる。いわば、蚕資料館だ。ここで、じっさいの蚕を、じーっと観察してみたが、どうみても芋虫。馬には見えない。

 その真っ白な芋虫を見ていたら、一頭だけグッと頭を持ち上げてる奴がいるではないか。まるで、サバンナのミーアキャットのように直立して、こっちを見ている。

 蚕は幼虫の間に四回皮を脱ぐ。ふ化してから一回目の脱皮の間を一齢(れい)といい、以後脱皮から脱皮の間を二齢、三齢、四齢と数える。そして、皮を脱ぐ一日前になると、桑の葉を食べるのをやめて、じっと静かにして脱皮の準備に入る。

 眠っているようにみえるので、これを「眠(みん)」と言い、その蚕を「眠蚕(みんさん)」と呼ぶ。

 こちらも一眠、二眠、三眠、四眠と数える。このグッと頭を持ち上げてる奴が何眠にあたるのかはわからないが、その姿は、なかなか可愛らしい。

「あっ!」その顔を持ち上げてる姿。ちょうど、馬が前足を上げて「ヒヒーン!」といなないている姿に見える。その笑っているような眼といい…漫画で描かれた、まさに馬づらだ。

「これは眼じゃないんだよ」

 隣で小学生くらいの男の子がお母さんに説明している。

(あ、そうだ。これは眼じゃないんだ)説明用のボードには、眼状斑紋(がんじょうはんもん)という模様だと書いてある。

 じゃあ、眼はどこかというと、馬づらのちょうど鼻のあたり、ここに小さな顔がついていて、その両側に小さくて丸い眼が片側六個ずつ計十二個ついている。これを単眼という。十二個もついていて、単眼?

 単眼とは、ピント調節や絞りなどの機能の無い単純な構造の眼のこと、一つ目のことではない。

 さっきの斑紋という模様は、背中の方にもついている。半円の馬蹄に似た半月紋と、さらに後ろにある小さな星状紋だ。

あっ、馬蹄!ここにも馬が出てきた。

発見!サンバ♪オレ!
 これが蚕と馬が合体した蚕馬(さんば)伝説の真相ではなかろうか。昔の人はちょっとした共通項にも意味を見いだし、新しい神さまを創りだす。

 たとえば、長野県諏訪のミシャグチ神という神さま。ご神体が石の神さまなのだが、石神(いしがみ)を(せきしん)と読んで、これが咳やノドの病気にご利益があることになった。ミシャグチも、いつしか「おしゃもじ」に変わり、「おしゃもじ様」という民間信仰が生まれた。 

 病気を治す医者も薬も無かった昔、人々はダジャレにすがってでもご利益を得ようと考えたのである。ダジャレこそ人々の拠り所。

ということで、ダジャレにすがってでも文章を埋めようとする切羽詰まった私の状況もご理解いただきたい。

さぁ、朝まで徹夜だ、発見!サンバ〜〜〜♪ オレ!

 

つづく


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