■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2011年10月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 青葉区編 Vol.7

 先月号の蚕の写真(正確にはイラストですが…)を見て、「びっくりした」「気持ち悪い」というお叱りと非難のご意見を読者の方からいただいた。

 ああ、そういえば…、大好きな女の子に芋虫を見せて、思いっきり嫌われたことがあったっけ…と、小学生の頃を思い出し、自分の迂闊さに気がついた。

 虫が苦手な方に対する配慮を欠きましたこと、心よりお詫びいたします。

 確かに、芋虫毛虫の類を好きだという人はほとんどいない。自分にしても、芋虫は許せても、毛虫は無理だ。そんな写真が載っている記事を見たらゾッとする。でも、何でこんなに嫌われているんだろう? ゴキブリもそうだが、とくに人に危害を加えることもないのに…。(スズメバチやムカデなら分かるが…)

 蚕をモデルにした怪獣に「モスラ」がいる。水爆実験の結果生まれた悪の権化「ゴジラ」から人間を守るためにインファント島からやってきた正義の怪獣だ。

 ちなみに、この『モスラ対ゴジラ』という怪獣映画は、私が生まれて初めて劇場で観た映画である。

 同じ芋虫…しかも巨大な芋虫なのに嫌われず、逆に可愛いと思われる理由は、正義の味方だからというよりも、その造形にあるのではないだろうか。蚕がモデルといいながら、色は白じゃなく茶色。コロネパンのような形も愛くるしい。これが蚕そっくりな造形にしていたら、たぶん、これほど人気はでなかったであろう。

 芋虫、毛虫が嫌われる理由の多くは、その姿形の気味悪さにあるのではないだろうか。

忘れ去られた神さま
 じつをいうと、私の周辺には「蚕を見たことがない」という人が多い。特に同世代。「子供の頃、写真か何かで見た覚えはあるけど…、どんなだったっけ?」という人も合わせると、蚕の姿を正確にイメージ出来る人は相当に少ないのではないだろうか。

 明治以降、日本の近代化や富国強兵のための原資を文字通り紡ぎ出し、戦後は農村の生活の一助となり、日本の復興に多大な貢献を果たしてきた蚕。 

 稚蚕霊神(ワクムスビノカミ)、蚕影(コカゲ)神、オシラサマ、おきぬさま…、古代から神様として、人々から崇(あが)め奉られてきた「おカイコさま」の姿を忘れ去ってしまったとしたなら、あまりにも悲しい。

 最近は小学校で蚕を育てて観察日記をつける授業をしていると聞いた。しかし、高度成長期に育った私たちはそういう授業は受けていない。

 学校で教えてもらっていないということも、もちろんあるが…、テレビや映画でも養蚕のシーンを見た覚えがない。テレビっ子だった私には、こちらの方が問題である。 

 子供の頃から時代劇が大好きで、よく観ていたが、江戸末期から明治、大正を舞台にした時代劇に養蚕をしているシーン(場面)があったという記憶がほとんど無い。

 鋤や鍬を持って田畑を耕している農民は登場しても、桑を摘み、蚕を育てている農民は出てこない。 

 生まれた頃からテレビがあり、それに浸りきって育った世代は、悲しいかな、ブラウン管の中の世界から色々なものを学んできた。

 生活スタイル、流行、人生観、思想…そして歴史。

 だから、その世界で描かれないモノは無かったことになるし、繰り返し放送されれば、ウソもホントになる。教養番組やドキュメンタリーも観るには観るが、、ドラマやバラエティーから、その多くを学ぶのが、テレビっ子のテレビっ子たる所以である。

 宗教もそうだ。大山講や庚申講や富士講や伊勢講、お地蔵さん、お薬師さん、観音さん、天王さん、お稲荷さんからコックリさん…まで。

 一般庶民の信仰なんて、ほとんど時代劇には出てこない。

 繰り返し描かれる「源平の合戦」や、「本能寺の変」や「関ヶ原の戦い」といったサムライの歴史は、講釈師のごとく語るくせに、サムライよりも遥かに多い農民や町民の歴史については口ごもる。

 一般庶民が何を着て、何を食べ、どんな家に住み、何に祈り、何を拠り所にして暮らしていたのか?…なんていうことは誰も知らない。

 どうやら、私たち現代人は、どこかに大切なものを置き忘れてきてしまったらしい。

 その責任の一つが学校教育であることは間違いないが、ボーっと何も考えずにテレビばかり観て、その内容に疑問を持たずに生きてきた自分たちの愚かさも反省して然るべきである。

フロスとコットン
「真綿色したシクラメンほど、清(すが)しいものはない〜♪」

 50代以上の方なら誰もが知っている、布施明さんの大ヒット曲「シクラメンのかほり」(作詞作曲・小椋佳)。その最初に出てくる「真綿」。知らないといえば、この真綿が絹で出来ていることを知らない人も結構多い。

 綿(わた)は、繊維や繊維状のモノが絡まりあってひとまとまりの状態になっているもの全ての総称のことだが、製品の綿(わた)となると、おもに木綿(もめん)=綿花から取れる繊維、英語でいうところのコットンのことを指す。

 しかし、真の綿=真綿(こちらは英語でフロス)は、くず繭(糸には出来ない品質の落ちる繭)」を石鹸や灰汁などで精練し、水洗いをして広げながら引き伸ばして作った綿のことで…(あ〜ややこしい…)つまり、綿(わた)と真綿は違うのだ。

 木綿が日本に伝来したのは平安時代だというが、栽培が可能になり全国的に普及したのは、ようやく室町時代になってからである。

「そんなはずはない。万葉集に「木綿」を歌った歌が載っているではないか!」と言われる方がいるが、あれは「樹皮の繊維で作った糸で織った布」。読みも「ゆう」で、「もめん」とは別物である。

 応仁の乱から戦国時代、さらに江戸時代初期は、ちょうど全国的に養蚕が衰退した時期にあたる。原因は、もちろん戦火。

 サムライが殺し合いをして国土を荒廃させたせいだ。とくに織物の主産地であった京都の織物職人たちが戦火を逃れ、都を離れたため、機業が途絶え、生糸を供給してきた全国各地の養蚕業の衰退に拍車をかけた。

 そのタイミングで、木綿が台頭してきたのである。

木綿が本格的に普及するのは江戸中期以降だといわれる。こういう事もドラマからは学べない。

 余談だが、布施明さんは青葉区在住である。毎朝通勤でご自宅前を通るが、まだお会いしたことがない。昔からファンで、今でも『積木の部屋』や『甘い十字架』『愛のサバイバル』など、カラオケでよく歌わせていただいて…えっ、だからどうした?って、いや…、青葉区のこと何にも書いてなかったので、プチ情報を…

 季〜節が知らん顔して〜すぎていきました〜♪

はぁ〜今月も歌で終わるのか。
 

つづく


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