■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2012年3月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(市ヶ尾) Vol.2

戦国の攻防 
 「戦国時代の領主さんのお墓が残っていたんですねぇ。しかも、戒名から寺の名前が付けられたなんて、まったく知りませんでした」と津屋さん。

「朝光寺というと、どうしても短甲や冑、独特な文様の土器が発掘された【朝光寺原遺跡】ばかりに関心が行ってしまいますからね」

「朝光寺原式土器ですね」

「あの櫛で引っ掻いたような土器の欠片は、今でも見つかりますよ。『こども探偵団』で歩いた時も、小学生の男の子と女の子が土器を見つけて、目を輝かせていました」

「上原出羽守もさぞや驚いていることでしょうねぇ。自分の名前が、生まれる千年以上も前の遺跡の名前になっているんですから」

「そうですね…」

戦国を生きた出羽守のことを思いながら墓(宝篋印塔)にそっと手を合わせた。

 朝光寺のある高台(標高25〜45m、200×400m)からは、縄文、弥生、古墳、奈良時代以降の古墳や住居跡が多数発見された。土器だけでなく、関東で初めて確認された環濠集落も当時は話題となった。

「縄文から奈良時代ですか。よほど住み心地の良い土地だったんでしょうねぇ…。その土地を安堵された上原出羽守は、よほど北条氏(後北条)に信頼された家臣だったんでしょうねぇ」

「それが、小田原の北条に仕える前は、関東管領上杉氏に仕えた太田氏の重臣だったようですよ」

「太田ということは、太田道灌の…」

「子孫です。太田信濃守資時(すけとき)別名資顕(すけあき)といって、埼玉県の岩付(岩槻)城の城主です」

「じゃあ、後北条氏の敵だったということじゃないですか?」

「そうです。有名な『河越城の戦い』で主家の上杉氏が後北条に滅ぼされたことで、太田氏と共に北条の家臣になりました。市郷(市ヶ尾)の地を与えられたのはその時のようです」

「なるほど、上杉氏を見限って後北条についた褒美ということですね」

「ところがですね、太田資時と仲の悪かった弟の資正は最後まで上杉に従っていて、資時が死ぬと、たちまち岩付城を奪って家督を継ぐと、上杉謙信と手を結んで後北条に対抗したんです」

「ほぉ、それで?」

「上原氏は、今度は北条の家臣として主家の城であった岩付城を攻めるんですね。そして、みごと奪い返した。その時の功績で戸部の領地も与えられています」

「戸部…?ああ、西区の京浜急行の駅のある戸部ですね」

 岩付城は、忍城、河越城と共に、埼玉県の三大名城の一つに数えられている。城門や堀跡など、なかなか見応えのある城である。

天領の名主
「あ、ちょっと待ってください」

 境内に戻ると、津屋さんが由来碑の前で立ち止まった。

「出羽守の墓ですが、ひとつだけで、子孫の墓はありませんでしたね。ここに天文十七年十一月に逝去とありますけど…、その後の上原氏はどうなったんです?」

「あ、そうでした。じつは上原氏の代々の墓は東福寺なんですよ」

「東福寺…ですか?」

「朝光寺の開基は賀解由左ェ門(かげゆさえもん)朝光公ですが、上原家の本来の菩提寺は同じ市ヶ尾の東福寺なんです」

 朝光寺の眼下を走る上麻生道路を川和方面に向かい、東名高速のガードを抜けて200mほど行くと、左手に東福寺はある。

「それに、出羽守のご子孫なら今も市ヶ尾に住まわれていますよ。東福寺の…道路を挟んだ反対側にある大きなお屋敷がそうです」

「大きなお屋敷ですか。なるほど、お殿さまですからね」

「いえ、上原氏は豊臣秀吉の小田原攻めの後に、武士を捨てて農民になりました。『新編武蔵風土記稿』には、『名主新五兵衛』の名が出てきますが、江戸時代は天領の名主として代々続いたようです」

「大きな屋敷というのは、名主の屋敷ということですか…」

「大きな屋根なんで驚いたら、これが実は、茅葺屋根を屋根瓦風のトタンで覆っているからなんですね。現在は隣の母屋に住まわれていて、大きなお屋敷は物置に使っているそうです」

「詳しいですね。もしかして、お会いになられましたか?」

「ええ、ご挨拶に伺いました。自分も殿様のご子孫ということで、武張った堅苦しい人物だったらどうしようと、緊張しながら訪ねたんですけど…、それが、ご主人も奥様も、お二人とも本当に優しくて穏やかで…お茶菓子まで頂いて、ついつい調子に乗って一時間以上も話し込んでしまいました」

 小田原北条氏からの書状はすべて横浜市歴史博物館に保存されているということで、写真のファイルを見せていただいた。北条氏康からの書状は、結構な数にのぼるが、それをご主人が一枚一枚丁寧に修復されたそうだ。

「北条氏代々の当主が使用したという『虎の印判』が押してありました。その多くが秀吉の小田原攻めの際のものだそうです。例えば、江戸城の舟橋を造るから、竹を送れとか…」

「市ヶ尾は、竹の産地だったらしいですからねぇ」

「そうそう、上原さんの家もやはり養蚕をされていたそうです」

 

つづく


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