■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2012年4月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(市ヶ尾) Vol.3

 「 東福寺の境内からバス通り(上麻生線のバイパス)の向こう側、新聞店(市ヶ尾東部店)越しに上原さんの旧母屋の建物が見える。かつて、その建物の屋根裏部屋で蚕が育てられていた。

「屋根裏には、はしごをかけて上がったそうです。戦前の話ですけど、その辺り一面桑畑だったと仰ってました」

「一面の桑畑…ですか…」

 朝光寺の山門から東福寺の方角をしばらく眺め、諦めたようにかぶりを振る津屋さん。上麻生線の先には東名高速道路の防音壁が立ちふさがり、遠い昔を思い描くことさえ許さない。

「あ、それで、上原さんのお宅に伺ったあと調べてみたんですね。そうしたら、大正十一年に東福寺の前の桑畑で養蚕振興のお芝居が行われたそうなんですよ」

「ほぉ、お芝居ですか?」

「鉄小学校や北八朔の山下小学校では、養蚕奨励の映画まで上映されたとか…」

「映画まで…、大正時代じゃ、まだサイレント(無声映画)ですね」

「そうなんです。養蚕の技術者が声をからして素人弁士をやったそうですよ」

『中里郷土史』によると【大正十一年、県が蚕桑指導員を任命派遣して、各町村の蚕桑改良の徹底的指導を計った】と書かれている。

市ヶ尾の城
「ところで、東福寺さんの由緒というのは分かってるんですか?」

「江戸時代末期に火災にあったので、詳しいことは分かっていません」

「そうですか。そういえば、朝光寺も明治三十二年に火事で焼失したと書かれていましたね。七堂伽藍の大きな寺で、元々は西向きだったと書いてありましたね」

 現在、本堂は南を向いている。

「雷が落ちたりもしたんじゃないですか、どちらのお寺も高台にありますから。あっ、そういえば!」

「どうしました?」

 

 

「ええ、高台で思い出したんですけど…。上原さんの奥様が養蚕の話をされてる時に、元は東福寺の場所に住まいがあって、今の場所に降りてきた…と、仰ってたんですよ」

「東福寺から降りてきた…ですか?」

「しかも、屋号が(堀の内)だというじゃないですか。『もしかしたら東福寺は出羽守の城だったかもしれませんねぇ』なんて、その時は笑ったんですけど…もしかしたら」

「本当に城だったと?ははは、歴史探偵の新説ですか。面白いですねぇ」

「郷土史家の久世さんはご存知ですか?考古学を研究されてる」

「存じあげてます。確か、恩田城も研究されていましたね」

「その恩田城が堀の内なんです」

「堀の内」という地名は、中世の城郭や城砦に関係するといわれる。郷土史家の久世辰男氏は、恩田・堀の内地区(青葉区あかね台)の発掘調査の際に見つかった全長五〇〇mという長大な空堀を、鎌倉幕府の御家人・恩田氏の居館跡ではないかと推定されている。

「恩田城ほどの規模だとは思いませんよ。でも、戦国武将じゃないですか。東福寺の回りに堀を巡らして、城砦くらいは作ると思うんですよね。境内を歩いてみたんですけど、あの高台の地形は怪しい。津屋さん、よかったら、これから東福寺に寄って確かめてみませんか?」

「興味はありますねぇ…、ありますけど、またにしましょう。雲行きも怪しくなって来たようですし、先に進みませんか?」

 空を見上げると、いつの間にか灰色の雲が厚く垂れこめていた。

「天気予報は、午後遅くなってから雨になるって言ってたのに〜。まずいですね。すいません、本来の目的を忘れてました」

市尾入道への催促状
 朝光寺の階段を下りると、東福寺に背を向け、上麻生線を北に向かう。

「それはそうと宮澤さん、上原出羽守が北条氏康から安堵された土地は市ヶ尾ではなく、『市郷』でしたね。ネットで調べると『昔は市郷だったが音の変化で市ヶ尾になった』と出てましたけど、本当ですか?」

「イチゴウが訛ってイチガオになったっていう説ですね。自分も最初そう思っていたんですけど…。どうも違うようですよ」

「違いますか。では、高丸の推理だとどうなります?」

「あはは、高丸の推理ですか?う〜ん、北条氏康の聞き間違い…ですか」

「聞き間違い?つまり市ヶ尾を市郷と聞き間違えた…ということですか。それはまた…大胆な説ですね」

「じつは、鎌倉時代に市尾入道という人物がいたんですよ」

「いちがお…にゅうどう…ですか?」

「ええ、執権・北条貞時の時代ですから、出羽守が市郷を安堵された時より250年も前になります」

 世田谷区史と緑区史に、『多摩川堤防修築中世文書』という文献が取り上げられている。

「武蔵国の代官と思われる人物からの催促状です。簡単に言うと『多摩川の分倍河原(ぶばいがわら)の堤防工事を国中の各郷に割り当てたのに、なんでお前たちはやらないんだ。やりたくないなら、その仔細を申し述べよ!』っていう内容なんです」

「府中の分倍河原ですね。その催促状の宛先というのが、市尾入道ということですか?」

「もう一人。先ほどの恩田城の主だと考えられている恩田氏にも送られています」

「ほ、恩田氏もですか?」

「ええ、二人とも正確な名前は分かっていませんが、市尾郷と恩田郷の武士だと推定されています。あ、恩田氏は鴨志田郷の所役も務めていたようですね」

「鴨志田…すべて青葉区ですねぇ」

「市尾と書いてイチゴウと読むなんて不自然ですよね。市尾郷なら分かりますけど…。あっ、もしかして、市尾郷の(尾)の字を、はしょったのかもしれませんね」

「はしょった…?氏康がですか?」

「ほら、尾っていう字、バランス悪くて書くの難しくないですか?自分は苦手なんですよ」

「・・・」

津屋さんの足が止まった。



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