■ひろたりあん通信バックナンバー
2012年6月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(市ヶ尾) Vol.4

名の知れた御家人か? 
 後ろから来たバスが大きく右折して視界を遮った。中山発市ヶ尾行きのバスだ。バスが通り過ぎると同時に信号が赤に変わった。

「はしょった…とは、いやいや、面白いことを考えますねぇ」

 笑いながら津屋さんが振り返る。急に足を止めたのは信号が赤になりかけていたからか…てっきり、自分の発言に呆れたからだと思った。

「私は尾の字が書きづらいとは思いませんが、聞き間違い、書き間違いならありえますね。なにしろ小田原北条氏は関八州二四〇万石を支配する戦国大名ですから、すべての地名を事細かに覚えているわけがありません」

「ですよね。違っていたからといって、主君に『字、間違ってますよ』なんて文句言えませんし…何より昔の人は大らかですから」

「大らかですね。豊臣秀吉の手紙も誤字脱字だらけですよ。それも愛嬌というか人間味というか、字の間違いを気にするのは、せせこましい現代人くらいじゃないですか」

 青信号になった。田園都市線の高架を挟んで、二本の横断歩道をわたるので少し早足になる。

「それよりも、鎌倉時代に市ヶ尾を治めていたという市尾入道が気になりますね。入道というくらいですから、やはり出家していたということですか?」

「入道」とは、出家剃髪し、仏門に入った人のことをいう。

「出家した武将といえば、平清盛、斎藤道三、武田信玄、上杉謙信…事情は違いますが、大物ぞろいですね。もしかしたら、市尾入道も名の知れた御家人だったかもしれません」

「鎌倉幕府の公式の歴史書である吾妻鏡には、鴨志田や江田といった、この辺りの地名と同じ名字の御家人が載っていますけど、市尾は無いですか?」

「ええ、市尾も、恩田もありません」

「吾妻鏡は文永三年(1266)年までしか記述されてませんから、それ以降に登場した御家人ということになりますか?」

「北条氏が、畠山重忠の一族をだまし討ちにして滅ぼしたあと、鶴見川流域は北条氏の支配下に置かれたようですから、市尾入道は北条氏と縁のある御家人ということですね」

 こちらは鎌倉幕府の執権・北条氏。関東は時代を隔てて、二つの北条が登場するからややこしい。

「鴨志田一族は、畠山重忠に味方したために、武士を捨てたという言い伝えがありましたね?」

 鴨志田町にある『甲(かぶと)神社』は、鴨志田氏が逃げるときに鎧兜を埋めたことから、その名が付いたといわれている。

「その鴨志田の領地が恩田氏のものになっているということは…、恩田氏も北条の一族の誰か…ということも考えられますね」

市は市場か、尾は尾根か!
 国道二四六号に出た。東名高速の青葉インターが出来た関係で立体交差になっている。ちょうど信号が青になったので、急いで横断する。

 渡りきると、ガソリンスタンド。その手前、右斜めに入る道がある。この道路が上麻生線(日野往還)の旧道である。

 旧道は、青葉区役所と公会堂の東側を通って、上市ヶ尾の交差点に抜ける。道がくねくねと蛇行しているところは、いかにも旧道らしい。

「市尾にせよ、市郷にせよ、市という字が付くことには変わりありませんね。やはり、この辺りに市(市場)が立っていた…ということになりますか?」と津屋さん。

 四日市、五日市、八日市など、市の開催日がそのまま地名になった例は少なくない。

「イチは(険しい地形)ヲが(高い所)で、高くて険しい地形…という説を地名推理ファイルの第一回で紹介しましたが、それならば、全国各地に同様な地名があってもいいはず。やはり、市が開かれた場所だと考えるほうが自然ですね」

「とすると、市尾の場合、(尾根)ということになりますね」

 尾根だとすると、市ヶ尾周辺の丘陵地。たとえば、遺跡の出た朝光寺原、もしくは市ヶ尾横穴古墳の上、小黒(こぐろ)遺跡が見つかった小黒公園のある「みすずが丘」辺りだろうか?

「東京の新宿区に市谷(いちがや)という地名がありますね、自衛隊の駐屯地のある。市ヶ尾と似てますけど、やはり(市)と関係があるんですか?」

 市谷――駅名は市ヶ谷となる。自衛隊というよりも、自分の場合、かつて勤めていた大日本印刷の本社がある町というイメージが強い。

「市谷の場合も、毎月六回定期的に市が開かれていて、市の下に付く(がや)は、『市買(いちがい)』が訛ったからだといわれています」

「六回なのに一回(いちがい)ですか」

「やりますね♪ もう一つ、周辺に谷が四つあり、市谷は、そのうちのひとつ(一の谷)だったからだという説もあるので、市が関係しているとは、一概(いちがい)に言えません」

「ははは…やりますね〜」

 青葉公会堂も過ぎ、気がつくと日野往還が大山街道と交わる場所、かつての中里村の中心地『中里銀座』に立っていた。

 

江戸時代、真綿のように旅人を温かく迎えたという旅籠「綿屋」。100年以上続くその建物は今も健在である。
 



ブログ…歴史探偵…大いに笑う』 

歴史探偵・高丸の思いつくままの漫筆、雑筆
記事にならなかった四方山話など…大いに笑ってやってください

アクセスカウンター
旅ともアクセサリーアニメDVD通販フラワーアイズ
 

 

■前に戻る■