■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2012年6月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(市ヶ尾) Vol.5

つばめのお宿 
「綿屋という名前は絹の道に通じるものがありますね」

 建物の表に出ている大きな梁を眺めながら津屋さんがつぶやく。

「確かに。真綿は絹ですからね」

「こうして二階が張り出した構造は、出梁(だしばり)造りと言いましたか?」

「そうです。中山道の妻籠(つまご)や奈良井宿などで見かけるものと同じですね」

 他所様のお宅をじろじろと眺め回すのも失礼なので場所を移動する。

「五年前、お話を聞こうと、綿屋さん(杉浦さん)を訪ねた時に見せていただいたんですけど、あの梁には人の顔ほどもある大きなツバメの巣があるんですよ」

「ツバメの巣…ですか?」

「毎年…あ、ちょうど今ぐらいの季節ですね。ツバメが卵を産みに帰ってくると、近所の人が玄関先に『ツバメが出入りするので戸を閉めないでください』という張り紙をして、戸を少しだけ開けておいてくれたんだそうです」

「ほぉ、近所の人が…、それは、いい話ですねぇ」

「でしょ。あとですね、雛が卵から孵(かえ)ると、その卵のカラを親鳥がポトンと土間に落とすんだそうです。杉浦さんのおばあちゃんは、それを『ツバメが宿賃をくれた』と喜んで、紙に包んで大事に仕舞っておいたんだそうです」

「それもまた旅籠らしい、ほのぼのとさせるエピソードですねぇ」

「あまりにいい話なので、紙芝居にしました」

 区制十五周年の時に立ち上げた『あおば紙芝居一座』が制作したオリジナル紙芝居「つばめのお宿」は、その時の話が元になっている。

「今年もツバメは泊まりに来ますかねぇ?」

「それが…何年か前に取材に来た人がツバメの雛を写そうとフラッシュを焚いたら、その翌年から来なくなってしまったらしいんです」

「ツバメもプライバシーを覗かれて腹がたったんでしょうかねぇ…」

 綿屋さんの斜め向かえの角(大山街道編の頃は『ちびっこの家』だった。現在はアパートが建っている)には『石橋屋』という茶店兼旅籠があった。綿屋さんほどではないが、大きな二階建ての建物だったそうである。

「時代は幕末。土方歳三や坂本龍馬も泊まったかもしれませんねぇ」

「宮澤さんは好きですねぇ、そういう話。土方歳三は日野の生まれで、若い時に薬の行商をしていたといいますから、日野往還を使った可能性はありますけど、坂本龍馬はどうですか…?」

「津屋さん、大山街道は三軒茶屋を通りますよね。三軒茶屋は信楽(しがらき)、角屋、田中屋の三軒の茶屋があったからそう呼ばれるようになったんですが、その信楽…のちの石橋楼に龍馬が泊まっているんですよ。写真も残っています」

「ほ、そうですか…写真まで」

「龍馬はおたずね者ですからね。もしかしたら、船で横浜に上陸して絹の道を北上。そして、大山街道を使って江戸に入ったのかもしれません。何しろ彼は凄腕の…」

「凄腕の剣術使い…でしたねぇ」

「じゃなくて、凄腕のスパイですから」

水の…啓示
「スパイ…?」

「そう。ジェームズ・ボンドやイーサン・ハントも顔負けのスパイですよ」

「龍馬のファンが聞いたら、怒るか…いや、呆れるでしょうねぇ」

「龍馬だけじゃありません。桂小五郎も西郷も…幕末に活躍した人物の大半が藩の諜報部員なんです。その証拠にですね…」

「宮澤さん、面白そうな話なんですけど、雨が気になりますから、先急ぎませんか?」

「あ、すいません。また脱線しました」

 旧道は上市ヶ尾の信号をわたった先、『蕪木輪業』さんの左横の路地へと続いている。

 その路地の右側を流れるのが『五箇村用水』だ。

 大山街道編でも記したが、市ヶ尾、大場、そして上、中、下の鉄村の五つの村は、水利が悪かったため、上流の鴨志田あたりから水を引いて農業用水に使っていた。

「茶店の石橋屋の名前は、店の前の用水に石の橋が架かっていたからでしたね?」

「そうです。今は暗渠になっていますが下市ヶ尾まで続いていたんです。あっ!水で思い出しました。以前、平川(美しが丘)の金子武次郎さんに養蚕の話をお聞きしに行ったんですけど…」

「ええ、読みましたから覚えてます」

「その時に金子さんが、『市ヶ尾に蚕種を買いに行った』ということを仰っていたんです」

 蚕種とは蚕の卵のこと。粘着性のある台紙の上に卵を産み付けさせて製品化したもので、「蚕紙」という名で売られていた。

「七、八〇年も前の話なんで、記憶が不確かだったんですけど、その後の調べで、水野さんというのは、この水野商会さんだったということがわかったんですよ」

 路地を入って左手二軒目に『株式会社水野商会』さんはある。

「ほぉ、それは灯台下暗しですねぇ」

 廣田新聞の本社は、その五〇mほど先、灯台下なんてものじゃない。

「水道工事の会社ですか。水野…、もしかしたら、水野平三郎とも関係あるんじゃないですか?」

「えっ、津屋さん今なんと言われました。え?・・・あっ!そうか。水野…あ〜そうかぁ。何で気が付かなかったんだろ。養蚕指導者の記念碑には(平三郎水野先生)と書かれていたから気が付かなかった。間抜けだ〜」

 後日あらためて水野商会さんに伺った。果たして、津屋さんの言われたとおり、水野商会さんの代表取締役、水野喜正氏は水野平三郎のご子孫であった。

 つまり、平三郎先生が興した『金城社』は、この場所にあったのである。

高丸



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