■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2012年10月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(市ヶ尾)Vol.9

 光陰矢のごとし、「絹の道」シリーズが始まって、なんと三年の歳月が流れていた。
 
 プロローグから始まり、横浜編、八王子編、青葉区編と…、実際に歩き出すまでに二年以上費やしている。改めて読み返してみたけど、ホント、あっちへ飛んだり、こっちへ来たり、書いている本人も思い出せないほどの脈絡の無さ…。

「プロローグが生麦事件だったのには驚きましたねぇ。そのあと、岐阜県に飛んだり、八王子に戻ってきたと思ったら、今度は愛知県に行って、それから、長野県に埼玉県でしたか…、絹の道を一緒に歩くという、私との約束を忘れてしまったのかと不安になりましたよ」と、津屋さんも呆れる。

 今回、あらためて読み返したのは、市ヶ尾の
『佐藤畳店』について、以前書いたような気がしたからだ。

 案の定、横浜編の第四回目に書いていた。ただし内容は「先月号の『夢の吹く丘』でご紹介した佐藤畳店の二代目若大将が、三渓園に畳を納めている」と、たったこれだけ。重複しては…と思ったが、取り越し苦労であった



三渓園の畳
 
『夢の吹く丘』は、隣のページにある不定期連載のインタビュー記事。その2010年の3月号で『佐藤畳店』の二代目若大将こと、佐藤彰さんをご紹介した。

「そういえば、書いてありましたねぇ。原三渓のことを調べていたら、偶然『三渓園』に畳を納めている佐藤さんと縁が出来たとか…三渓の故郷に行ったのも、確か実家に墓参りに行った帰りでしたね」

「さすが津屋さん、お詳しい。岐阜県の柳津が三渓の故郷です」

 最近「地名推理」を読み始めた方のために、原三渓についても再度記する。

 原三渓(原富太郎)は、生糸貿易で財を成した横浜の豪商・原善三郎の孫娘の婿で、蚕糸業や銀行の救済、関東大震災の復興支援など横浜のため多大な貢献を果たした人物である。

 ちなみに、三渓の故郷、岐阜県の柳津と水野平三郎の故郷、愛知県丹羽郡大口村は、直線距離で10qほどしか離れていない。市ヶ尾から新横浜までと同距離だ。ほとんど同じ地域の出身といってよい。

「三渓は、美術品の収集だけでなく、画家や彫刻家に対して物心両面の援助を行ったそうですね。そして、本牧に『三渓園』を造園した。その『三渓園』の建造物のいくつかは、確か、国の重要文化財に指定されているんじゃなかったですか?」

「三渓園の建造物は一七棟あるんですが、国の重要文化財はそのうちの10棟です」

「ほぉ、そこに畳を納めているんですか。それは大したものです」

「佐藤さんは、京都嵐山の老舗畳店で四年間修行をされたんです。嵯峨の『藤本畳店』というんですけど、この畳店が半端じゃないんですよ。裏千家の家元『今日庵』のほか、京都御所や桂離宮などの施工も手掛けているんです」

「そちらも国宝級ですねぇ」

「京都畳訓練校の競技会でも常に一番だったそうですよ」

「この絹の道にお店を出されたのは偶然だとしても…、宮澤さんのいうように不思議な縁を感じますね」

「でしょう。絹の道、いや、絹の糸が繋いだ縁かも知れませんね」


古墳の百貨店
 
佐藤畳店を過ぎると、道は大きく左にカーブする。同時に真正面に樹木の生い茂った小高い山が現れた。

「稲荷前古墳群ですね」

 昭和四十二年(1967)、住宅造成中の高さ60mほどの丘陵から古墳が発見された。

 その後調査が行われ、南北に連なる尾根上に、方墳、円墳、前方後円墳、前方後方墳など、10基の古墳と、9基の横穴墓という、 これまでにない数の古墳群であることが判明、全国的にも大きな話題となった。

 現在は、15号(方墳)、16号(前方後方墳)、17号(円墳)の三つのみが保存され、他はすべて住宅地となっている。

 

「確か、この辺りの字名が『稲荷前』なので、その名前が付いたということでしたね」

「古墳の北側の『稲荷前第一公園』付近に稲荷神社があったそうです。その神社の祠は現在、公園の高台を東に降りた大場川の近く、 『アトム電器(松電社)』という電器店と『バーバーサトウ』という床屋さんの裏の路地にあります」

 七年前にも書いたが、稲荷神社の祠が今にも崩れそうで、通るたびに悲しくなる。もう少しなんとかしていただけないだろうか。

「『青葉のあゆみ』に書いてありましたが、古墳群の最北にあった前方後円墳は、奈良の箸墓(はしはか)古墳に似ていたそうですね?」

「大場町と黒須田の境界あたりにあった6号墳のことですね」
 箸墓古墳は、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡にある巨大な前方後円墳で、三世紀後半という建造時期や、その大きさなどから、卑弥呼 (ヒミコ)の墓だったのではないかと言われている。

「自分はそれを聞いて、思わず町田市の三輪町のことを考えました」

 鶴見川沿い、寺家町の先に三輪町はある。 「奈良時代に大和の三輪から移住した人々が住みついた所」というのが地名の由来だ。

「三輪町と、この古墳群は四qほどしか離れていないんですよ…」
 

高丸



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