■ひろたりあん通信バックナンバー
2013年1月号 
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(鉄 町)Vol.2

三つの村
 江戸時代、鉄町は上鉄、中鉄、下鉄の三つの村に分かれていた。

 上流に位置する上鉄村は、現在の『くろがね青少年野外センター』から西側一帯と、さらに「もみの木台」も含めた広大な地域。センターの東側、200メートル四方の小さな地域が中鉄村で、残る下鉄村は、現在のセブンイレブン付近から、黒須田川に沿った右岸部で黒須田村、大場村と隣接する。

 「鉄村は、旗本領だったようですね。たしか、宗英寺(そうえいじ)というお寺に、上鉄村を治めていた旗本の墓があったと思うんですが…?」と津屋さん。

「加藤権右ェ門景正(かげまさ)ですね。元々は織田信長の家臣だった人です」

「信長の家臣だったんですか?」

「ええ、尾張の出身です。旧中里村に領地をもらった旗本の多くは三河と尾張の出身者なんですよ」

「つまり、徳川の旧領から移ってきた家臣ということですね」

「地元、武蔵の出身者は、青砥の勝部氏と市ヶ尾の笠原氏だけです。で、加藤景正ですが、信長が亡くなったあと徳川家の家臣になり、大阪の陣で 手柄を立てて、家康から上鉄村と上州(群馬県)の土地、合わせて四五〇石の領地をもらっています。鉄町に宗英寺を建立したのも景正ですね」

 曹洞宗一抽山 宗英寺(いっちゅうざん そうえいじ)。大阪の陣の後だとすると、寺の創建は慶長の末か元和の頃だろう。

「中鉄村は、筧(かけい)三郎左ェ門正重(まさしげ)が納めていたそうです。筧氏は伊勢出身の豪族ですが、いつからか徳川家の家臣になったようですね。家康の父親の松平広忠の家臣に同じ名前の筧正重がいますし、三河一向一揆の時に一揆側に加わって、徳川十六神将の一人、平岩親吉を討ち取りかけた人物も筧正重ですね。のちに旗奉行になっています。 正重が中鉄村を賜ったのはいつの時代なのかはっきりしないので、果たして同一人物かどうか…?なんとも言えません」

「筧三郎左ェ衛門正重…ですか。旗奉行にしては、中鉄村の知行地は小さすぎるんじゃないですか?」

「あ、筧正重の領地は、中鉄だけじゃないんですよ。ほかに、大場、成合、寺家の各村も領しています」

「なるほど、そういうことですか」

 逆に、一つの村を二給、三給と、複数の領主に割り当てるということもある。これを相給(あいきゅう)、もしくは分郷(ぶんごう)という。江戸時代の青葉区は、こうした天領と私領(旗本領)が入り組み、尚且つ、二給、三給と複数の旗本たちによって治められていたのである。

「下鉄村は、ちょうど今歩いている場所ですね。江戸時代の初めは天領だったそうですけど、のちに筧某という人の知行地になったと新編武蔵風土記には記されています。一説には、筧喜太郎だという説もあるんですが…はっきりしません」

 嘉永六(一八五三)年の『武蔵国村数石高家数取調書』には、「下鉄村=筧三郎左衛門知行所」と記されているが、年代が違うので正重でないのは明らかだ。

消えた寺
 旧日野往還(横浜上麻生道路)を、下鉄から中鉄に向かって歩く。

 といっても、田畑が飛び地のように存在していたようで、どこからどこまでが境界なのかは判然としない。

 セブンイレブン(かつての井上商店)を過ぎると、歩道が無くなる。旧道によく見られる光景だが、青葉区役所から環状4号の入口までバイパスの都市計画道路が並行して造られているので、川和のあたりのように交通量は多くない。それでも、時おり路線バスが通るので注意して歩く。



「宮澤さん、ひとつ疑問なんですが…」

「何でしょう?」

「上鉄村の菩提寺は、先ほど話した宗英寺ですが、中鉄村と下鉄村にも菩提寺があったはずですね。それはどこなんですか?」

「あーっ、さすがですねぇ。そうなんですよ。自分も疑問に思ったんで宗英寺の近くにお住まいの臼井さんにお聞きしたんですよ」

 自称「鉄町の管理人」。鉄町の生き字引のような方で、同名のブログで鉄の歴史や自然についてレポートされている。

「まず、下鉄のお寺ですが…、あっ、ここ!この場所に下鉄の菩提寺の庫裡(くり)らしき建物があったそうです」

 信号のある路地の入口から左手を指差す。そこには現在、「鉄文化会館」が建っている。

 庫裡とは、仏教寺院における伽藍のひとつで、おもに僧侶の住居のことをいう。

「実際のお寺は、さっきのセブンイレブンのところのT字路の信号を入って、黒須田川に沿って八〇〇mほど北上した、山の麓にあったそうです。寺の名前は『宝福寺』。室町時代に開山したそうで、今は近くに『竹炭想会』の作業所があります」

 川崎市麻生区にある王禅寺の末寺であった宝福寺は、大正十二年の関東大震災で本堂が倒壊、修理に大規模な予算が必要だということで、解体され、ご本尊と如意輪観音像が本寺の王禅寺に移された。



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