■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2013年6月号
わが街 今昔 
■都筑区川和町 大正15年(1926年)5月

 大正15年5月30日に完成した鶴見川(谷本川)の砂利護岸工事。視察に訪れた協議会職員による記念撮影の写真だそうです。

 写真には「谷本川筋川和字影淵護岸兼堤防修築落成記念写真」と記されていました。影淵は川和村の字名で、貝の坂の交差点から町田方面へ向かう県道140号が、鶴見川を渡る千代橋の北側になります。

 川和(河輪、川勾と記す文献もある)は、その名前が示すとおり、紆余曲折が甚だしく、豪雨となれば忽ち氾濫し、流域に多大な被害をもたらしました。こうした護岸堤防の工事は、江戸時代から各所で行われていたそうです。

 この写真の場所から3〜400mほど上流に、かつて、川和と対岸の青砥を結ぶ舟の渡し場がありました。傍に二体のお地蔵様があったことから「地蔵の渡し」と呼ばれていたそうです。

 現在、お地蔵様は川和駅近くの天宗寺(下の写真左)と瑞雲寺(写真右)に安置されています。

          

 地蔵渡しの少し上流には、大山詣での代表者が出発前に鶴見川の水で身を清め、帰ってきたあと大山の水を川に流したという「精進(しょうじん)場」もありました。 大正時代、その付近で「鮎釣り大会」も行われていたそうです。 

 川和町駅の南、精進場のあった辺りにある市営地下鉄川和車両基地の敷地の地下には、鶴見川の治水事業として、神奈川県が建設した川和遊水地が設けられています。これは全国初の取り組みだということです。

川和町から青砥町に架かる千代橋上より鶴見川と川和方面を望む



 

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