■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2014年1月号 
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(鉄 町)Vol.14 郷土資料館は今から20年前、鉄小学校の創立120周年を記念して作られた。

 鉄町はもとより、大場や寺家、市ヶ尾などの近在から農具や民具が集められているが、その半分近くを養蚕や機織りなど生糸関係の道具が占める。壁に展示された標本も生糸、織物、繭と、さすがは「絹の道」沿道の資料館である。

 その標本の隣、額に入れられた一枚の賞状に「水野平三郎」の名前が記されていた。

「褒状(ほうじょう)…ですか。確かに水野平三郎に贈られたものですね。繭と大きく書かれてますから、品評会か何かに繭を出品したときのものでしょうか?」と津屋さん。

 覚えておいでだろうか?「水野平三郎」。
 
 この絹の道散策編のスタート地点、市ヶ尾の朝光寺裏にある「謝恩碑」に彫られた養蚕指導者の名前である。

 考えたら、その名前を発見してからちょうど二年になる。

 謝恩碑から鉄小学校まで距離にして約3・5q、寄り道をしながら歩いても二時間程度の道のりだ。そのたった二時間の出来事を二年とは…話をふくらませるにも程がある。ふくらませ過ぎて記憶はおぼろ、体調はぼろぼろ。

 そこでダイエット…いや、それ以上に筆者の記憶を呼び覚ますために冒頭の部分をダイジェストで振り返ってみたいと思う。(坂本九ちゃんの語りをイメージしてお読みください)

平三郎先生登場のくだり
 時は、二年前の平成二十三年二月六日。鉄小学校に辿り着く2時間ほど前の午前9時10分。二人が待ち合わせたのは、市ヶ尾は朝光寺の裏、「謝恩」と彫られた大きな石碑の前。

 その石碑には、「愛知県出身の平三郎水野先生が、中里村に移り住んで、『武蔵蚕業金城社』を創立し、この地域の養蚕指導に多大な貢献をした…うんぬん」と書かれていた。

 書いたのは、わが廣田新聞の創設者にして作家の廣田花崖である。

 石碑の裏にグルっと回ると、そこには、市ヶ尾、上谷本、下谷本、鐵、寺家、成合、鴨志田といった中里の村々に、奈良、恩田、長津田といったお隣の田奈村。そして、王禅寺、麻生、岡上、早野、片平…といった川崎の村々の名がずらーっと、刻まれている。

     

 明治から大正にかけて、都筑郡の農家の六割以上が養蚕農家。これだけ広い範囲に平三郎先生が指導に回っていたとは、その影響力の大きさといったら、計り知れない。

 それでは、平三郎水野先生が創立したという「金城社」は、いったいどこにあったのか?

 その手がかりが見つかったのは、石碑から歩くこと1q、国道246号を渡り、青葉区役所の裏の道を通って上市ヶ尾の交差点から、わが廣田新聞の本店のある斜めの旧道に入ってすぐの所、水道工事、消防設備、ソーラーシステムなどの施工をされている「叶野商会」の建物の前であった。

「市ヶ尾によく蚕種を買いに行ったよ」

 水という文字に刺激されたか、歴史探偵の記憶の引き出しがポンと開き、そこから出てきたのが、戦前に石川村(美しが丘)で養蚕をされていたという金子武次郎さんの言葉。蚕種とは蚕の卵のことだ。

 それを聞いた津屋さん、すかさず「もしかしたら、水野平三郎と関係あるんじゃないですか?」と推理した。

 本来なら、歴史探偵が石碑のところで気がつかなきゃいけない話。頭の出来というのはこういうところに現れるのでありますねぇ。

 津屋さんの推理を確かめるべく、高丸が「水野商会」を訪ねたのは、その数日後のこと。代表取締役の水野喜正氏にお会いし、金城社が水野商会の前身で、喜正氏が平三郎先生のご子孫だということを突きとめたのであった。

 で、あるからして、2時間後に郷土資料館にいる二人は、まだその事実を知らない…と、いうことを、皆さんも念頭に置いて、それでは続きをお読みください。

東京大正博覧会
「繭…という文字の下に、又…昔とかいてありますけど、なんですかねぇ?津屋さん分かりますか?」

「又…昔…?なんでしょう?」

「その後ろが不自然に空いていて、次に審査官の名前が三人ありますね。森繁太郎、中村雅次郎、加賀山辰四郎…審査官にしては…というとアレですけど、正四位とか従五位とかの位階が付いてますよ」

「ほぉ、加賀山という人は、正五位勲四等ですか。よほどの功績をあげたか、元々華族だったか…。あ、審査部長は古在由直(こざい・よしなお)じゃないですか!」

「正五位勲三等農学博士…、ご存知ですか?」

「大正時代の東京大学の総長です。当時は東京帝国大学ですが、関東大震災の時の総長だったので、大学の復興のために尽力されたと聞いています」

 東大出身だけあってさすがに詳しい。ちなみに、古在由直の前の総長(第九代)は、大河ドラマ「八重の桜」にも登場した会津出身の山川健次郎である。

「古在は、足尾銅山鉱毒事件の調査で銅による汚染を実証したことでも有名です」

「そ、そうなんですか。それは知りませんでした。あ、隣の審査総長従二位勲一等文学博士子爵は、末松謙澄(すえまつ けんちょう)ですね。この人のことは知っていますよ。東京日日新聞社…現在の毎日新聞ですね。そこの記者だった人です。『源氏物語』を最初に英訳した人でもあり、維新の頃の長州藩の歴史をまとめた『防長回天史』も編纂しています。それよりなにより、イギリスで【義経=ジンギスカン説】を唱える論文を発表したことで有名です」

「えっ、義経=ジンギスカン説…ですか?」

 やばい、またまた話がふくらみそうな予感…(汗)


                                             高丸
 
 

 

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