■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2014年2月号  
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(鉄 町) Vol.15

 
トンデモ話は、また昔 
 源義経=ジンギスカン説というのは、 奥州衣川の高館(たかだて)で自刃したはずの義経が、実は衣川を脱出して蝦夷(エゾ=北海道)まで逃れ、その後、大陸へと渡って自らをジンギスと名乗り、モンゴル帝国を打ち建てたという俗説である。

「津屋さんは北海道ですから、よくご存知だと思うんですけど…」

「確かに、東北や北海道の各地に義経が生存していたことを示す伝説の地が点在していますね。ただ、義経=ジンギスカン説で話題になったのは、小谷部 全一郎(おやべ・ぜんいちろう)という人ではなかったですか?」

「そうです、そうです。 その小谷部は、末松謙澄の著書を読んで影響を受けたんです。というよりも、この説は江戸時代に新井白石や林羅山といった学者も書いているんですよ。さらに、水戸の黄門さま(水戸光圀)なんて、調査団を蝦夷に派遣して探検までしてますからね」

「ほぉ、助さんと格さん、北海道まで行きましたか?」

「え〜〜い、このモンゴル人の噂が耳に入らぬか!な〜んて」

「ははは。それにしても、よく知っていますねぇ」

「好きなんですよ、そういう誰それは実は生きていたっていうトンデモ話。それを調べに全国あちこち旅したこともありますよ」

「ほぉ、それで真相は?」

「天海=明智光秀説なんて、結構信ぴょう性ありますよ。義経=ジンギスカン説は怪しいですけど。じつは、末松謙澄が論文を書いたのも、イギリス人から【日本が清国の属国】のように云われたことに腹を立てたから…っていう話らしいですからね」

「そうでしたか。いわゆる【判官びいき】から出た伝説ということなんでしょうね」

「ロマンですね。でも、自分はひねくれているせいか、義経は生きていたじゃなくて、死んでいた説なんです。だから、東北へも行っていません」

「・・・? それはまた、新説ですね」

「義経に関しては謎が多いんですよ。例えば…あ、こんな話をしてると長くなりますから、また今度」

「やっと終わりましたか?」

 突然、背後から声がした。

「おお、びっくりした!」 いつ来たのか、『くろがね倶楽部』のM原さんが立っていた。

「様子を見にきたら、また水戸黄門の話なんかしているし…」

「水戸黄門の話じゃなくて、源義経」

「はいはい、どうでもいいですけど、脱線ばかりしてると、また読者からクレームが来ますよ」

「だから、絹の道の話だって。ほら、ここに飾られてる賞状。この辺りで養蚕の指導をされてた水野平三郎っていう人がもらったものなんだよ。ここに…繭って書いてあるでしょ」

「賞状?…へ〜ぇ、東京大正博覧会というのが開かれたんですね」

「そ、そう、その博覧会の話から、いつのまにか…」

「その博覧会は、どこで開かれたんですか?繭の字の下の『又昔』ってなんですか?」

「又昔…また、難しい質問を。一〇年は又むかし♪あぁ、暑い夏♪」

 言葉に窮した挙句、井上陽水の歌など歌い始めた高丸探偵。これじゃ、埒が明かないんで、私(再び、坂本九ちゃん登場)が代わって説明いたしましょう。

歴史資料室を作ろう
 東京大正博覧会というは、大正天皇御即位を記念して大正三年(1914)の三月二〇日から七月二〇日まで開催された産業と文化を紹介する博覧会のこと。

 

 上野公園を主会場に、連動したイベントが首都圏の各地で開かれたのであります。津屋さんの推測どおり、農産物や水産物、工業製品などが出品され、優秀なものに褒状が贈られました。

 そして、繭の字の下に書かれていた「又昔」の文字。「又昔」というのは蚕の品種。

 日本古来の蚕のことでありまして、光沢に優れた糸は反物に仕上げると、柄が浮かび上がって見えたっ!という上物、いや、上品質の繭を作るということで、当時の養蚕農家ではありがたがられた。

 しかし、収繭量が極端に少ないのが難点で、大正四年ごろに品種改良された蚕が普及すると、又昔を育てる人はいなくなったといわれています。

「東京大正博覧会の総裁は載仁親王ですか」と、津屋さん。

「載仁親王(ことひとしんのう)は、皇族議員で当時の陸軍大将ですね。最後に博覧会の会長として東京府知事・久保田政周(くぼた・きよちか)の名前が記されています。この人は横浜市長もされてますね」

「さすが津屋さん、お詳しいですね。テレビドラマの話と、トンデモ話ばかりの誰かさんとは大〜違い♪」

「ヘッ!トンデモ話のほうが、定説よりも整合性があるっつーの」

「あっ、ちょっとちょっと、そのあたりの道具、あんまり勝手にさわらないでくださいね。今度、横浜歴史博物館の調査が入ることになっているんですから」

「あ、そうなの?」

「今、横浜ふるさと歴史財団が市内の小学校に歴史資料室を作ろう…という取り組みをされているんです。どの区にいくつ資料室があるのか、鉄小学校のように、すでにある学校は資料の整備をして、これからどのように活用していくのかを調査するんです」

「それは、素晴らしいですね」と津屋さん。

「資料館にある資料は、地域の方々が子どもたちのためにと集められた貴重なものなんですね。ですから、学校と地域の双方向の協力がないと意味がないんです。これをきっかけに地域の様々な人を巻き込んで、子どもたちにも、地域にとっても、有意義な資料室を作って行けたらな〜♪って思っているんです」

「若い女性がそういうことに情熱を燃やされているというのは驚きですねぇ。M原さんは歴史にも興味がおありなんですか?」

「津屋さん、若いっていうのは大いなる勘違いですよ。 歴史に興味があるっていうのは、当たってますけど。 M原さんは区制十五周年の時の【郷土の歴史を未来に生かす事業】の実行委員なんです。その時に、郷土の民話や言い伝えを紙芝居にして伝えたいと主張したのもM原さん、つまり『あおば紙芝居一座』の生みの親でもあるんです」

「あ、それは失礼しました」

「ちなみに、紙芝居一座のキャラクターを描いたのも私です。エヘン」

                                             高丸
 
 

 

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