■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2013年3月号 
わが街 今昔 
■青葉区鉄町市ヶ尾町1737 昭和8年(1933年)

 

 丘の中腹に建つ洋館は、廣田新聞の創業者、作家・廣田花崖の山房です。事故で下半身不随となった花崖は、大正8年、鶴見川とその河畔が見下ろせる上市ヶ尾のこの地で執筆活動を始めました。一方で、横浜貿易新報社(現 神奈川新聞)の通信部も開設。専用のサイドカーとカメラマン帯同で山房を飛び出し、精力的に取材活動に勤しんだそうです。水色をした洋館は対岸(現 柿の木台、みたけ台)からもよく目立ちました。その自宅で新聞販売業を開始したのは、その4年後の大正12年。本社ビルが建ったのは昭和54年のことです。(中央の旗の揚がるビル)

 本社ビルの脇には、日野往還(横浜上麻生道路)の旧道が通っています。写真右の萱葺屋根は、同じく旧道沿いにあった『武蔵蚕業金城社』(現 (株)水野水道)の建物かと思われます。『金城社』は、明治時代末期から昭和の初めにかけて、中里村や田奈村周辺の農家に養蚕の指導をされた水野平三郎氏が命じ40年に創設した会社です。建物の後ろに桑畑が確認できます。当時の鶴見川沿岸は、こうした桑畑が広がっていたそうです。

 現在の写真中央に見える「金井石材店」も大正5年に店を構えました。最初は大場町(大場入口交差点付近)にありましたが、昭和45年、現在の場所に移転しました。

 春、同じ場所を鶴見川の対岸から眺めると、八雲神社周辺がソメイヨシノの淡い紅色に包まれているのが分かります。人々の目を楽しませる桜の木のほとんどは、昭和初期に養蚕から造園に転業された2代目・水野儀三郎氏によって寄贈されたのだそうです。

上市ヶ尾交差点南より、廣田新聞本社および禅当寺方面を望む。


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