■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2014年3月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(鉄 町)Vol.16 

 現在、青葉区内には31の小学校がある。歴史資料室を持っているのは、鉄小や東市ヶ尾、元石川小など9校。まったくない区もあるというから、青葉区は多いほうだ。それだけ、地元の方々の意識が高いということでもある。

鉄は王なり  
 鉄小学校の郷土資料室を出ると、雨が一段と激しくなっていた。

「これは、参りましたねぇ」と、津屋さんがバッグから折りたたみの傘を広げる。

「さすがに傘なしじゃ歩けませんね。あ〜ぁ、ここから先が鉄(くろがね)の面白さだっていうのに…」

「そうなんですか?」

「ええ。歴史的にも、民族学的にも、これほど興味深い地域は、たぶん、青葉区内で一番だと思いますよ」

「じゃあ、一旦引き上げましょう」

「えっ!引き上げるんですか?」

「そんなに面白いところを傘さして歩くのもなんですからね。一旦引き上げて、改めて出直しましょう。どっちにしても、今日中に終点まで行けるわけじゃありませんから」

「そう言われればそうですね。分かりました。じゃあ、せっかくですから最後に鉄神社に寄って帰りましょう。バス停は神社の前にありますから」

 鉄小学校から上麻生道路(日野往還)に戻り50mほど進むと、道路幅が少し広くなったT字の交差点がある。そこに「桐蔭学園入口」というバス停があるが、北に向かって伸びる舗装された坂道を更に200mほど上っていくと、桐蔭の学生や関係者が利用する「桐蔭学園」というバスロータリーがある。鉄神社は、そのロータリーの後ろの高台に鎮座している。

 学校法人桐蔭学園(とういんがくえん)は、昭和39年(1964)に創立された、幼稚園から小中高・大学・大学院を擁する巨大な総合学園で、鉄神社のある裏山に広大なキャンパスを有している。



「坂の上り口に鉄神社の石標が有りましたね」

「ええ、この坂道は元々鉄神社の参道なんです。今は舗装された一本の坂道ですが、桐蔭が出来る前は階段になっていました」

「石標の鉄の文字は、新日鐵と同じで古い旧字体になっていましたね」

「鉄は【金を失う】と書きますから、それを嫌って旧字の【鐵】の字を使うことが多いですね。旧字は分解すると【金】【王】【哉(なり)】。つまり、【鉄は金属の王なり】となります。太古の昔から一番貴重な金属は鉄だったんです。だからこそ、この字が使われた。さっきご覧になった『くろがね倶楽部』のイラストも、バックの文字は旧字の鐵の字を図案化して入れてありますよ」

「ははは、鉄の話になると熱く語りますね」

「そういえば、鉄小学校も同じ理由で鉄の字の右側を【失う】ではなく【矢】にしていた時期があったそうですよ」

「JRは四国を除いて【失】を【矢】にしていますねぇ。【失】は、テツという音を表していて【失う】という意味ではないんですが…」

「さすが津屋さん、鉄道には詳しいですね。でも、JRより先にそれをしたのは近鉄(近畿日本鉄道)なんです。理由は、『金を失う』じゃなく『金が矢のように入ってくる』のほうが縁起いいってことですね」

「では、名古屋の名鉄は『名も金も失う』ですか?(笑)」

「名古屋人は確かにケチですけど、そんなにお金に執着しませんよ。使う時はドバっと使う。そうそう、近鉄は【矢】にしたことが原因で大変なことになったんです」

「ほぉ!どうなりました?」

「大阪の小学生が、鉄の字を【金に矢】と間違って書くようになって、それが問題になったんです。それで、慌てて元の【鉄】に戻しました」

「矢のように入ってきたのは金じゃなく、クレームだったっていうオチですね、ははは。あ、ここがバスロータリーですか?結構広いですね」

合併された杉山神社
 ロータリーの右側が高等学校。左の道を上って行くと大学のキャンパスがある。まだ時間が早いのでロータリーのバス停には学生の姿は見えない。

 ロータリーを回りこみ、鳥居をくぐって階段を上る。 上りきると、目の前に本殿がある。

「学校の敷地の中にあるにしては、なかなか雰囲気のある神社ですね」

 由緒書きには、「新編武蔵風土記稿に拠ると、天文年間(1532〜1555)に勧請し、創建されたと伝えられる。以前は青木明神、杉山明神合社と称していたが明治初年に上・中・下鐡村の三ヶ村が合併して鐵村となり神社名を「鐵神社」に改称した。旧本殿が二殿あったが昭和四年(1929)改築した時本殿を一つにまとめた」とある。

「神社の合併はよく聞きますけど、同じ場所に本殿が二つあったというのは、珍しいですね。杉山明神というのは、もしかして…」

「杉山神社です。祭神が五十猛命(いそたけるのみこと)なので、間違いありません。青葉区には杉山神社が六つ有るんです」

 江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、都筑郡二十四社、橘樹郡三十七社、久良岐郡五社の神奈川県内六十六社と、南多摩郡(八王子、町田、稲城など)に六社の計七十二社の杉山神社が記載されている。

 しかし、明治以降に神社の合併や名称変更が行われたことに寄って、現在「杉山」の名が付く神社で、宗教法人登録されているのは四十四社である。

「四十四社のうち、横浜市内には三十五社あります。青葉区内の杉山神社は、みたけ台、下市ヶ尾、下谷本(千草台)、あかね台の四社ですね」

「鉄神社は合併された一社ということですね。すると、もう一社は?」

「奈良町の『住吉神社』です。こちらも、大正10年に合祀されて名前が変わりました」

「宮澤さんは、鎌倉街道編の時に杉山神社について書かれてましたね。たしか、四国の忌部(いんべ)氏が千葉に上陸して、海を渡って鶴見川流域を北上した…と」

「杉山神社に祀られているのは、その忌部氏の神さまだ…っていう説ですね。それは広く一般に言われている説です。九年前は、なるほど…って思ったんですけど、最近、その説はちょっと違うんじゃないかと考えはじめてるんですよ」

                                             高丸

 

 

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