■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2014年月号 
わが街 今昔 
■青葉区あざみ野南二丁目 昭和56年(1981年)

 手前から奥へと続く道路は、みすずが丘の交差点付近から、荏田北、あざみ野南の住宅街を抜け、東名高速道路の高架をくぐって荏田町へと続く「赤田」と呼ばれた谷戸集落のメインストリートです。

 左手の山裾にある鳥居は、赤田谷戸の講中17軒で祀る稲荷社の鳥居。社殿は山上の竹林の中に南東の方角を向いて建っていました。鳥居の手前、少し高くなった場所には、赤田の人たちが寄り合いなどを開いていた「クラブ」と呼ばれる建物が建っていたそうです。      

 その鳥居とクラブの建物の前を通る農道が、昔から使われていた本道です。赤田の谷戸を東西に貫く本道は、道幅も細く、湾曲して上がり下りの起伏が激しく、車の通行にはとても不便だったため、昭和26年から、およそ八年の歳月を費やして、写真の新道が造られました。 総工費150万円、2480名の人員を要したそうです。

 赤田の開発が始まったのは昭和60年。その造成工事の際、赤田稲荷のある標高56.8mの丘陵から、自然地形を利用して築かれた古墳(赤田2号墳)と周溝、南斜面からは42基の横穴墓が発掘されました。(6世紀後半)古墳の石室は、この場所より南西に約500m離れた「赤田西公園」の一画に保存されています。

 赤田稲荷も造成工事のため約500m西にある「あざみ野南鍛冶谷(かじやと)公園」の隣に移されました。お稲荷さまのあった場所は、現在梨畑になっています。8月後半には収穫できるとのこと。横浜ブランド「浜なし」は、徳江さんのご自宅で販売されています。



田園都市線と赤田大橋に挟まれた場所
(ベオラプレイス前)から東に向かって撮影


鍛冶谷(かじやと)公園

(あざみ野南3-12-20)に移された赤田稲荷



写真提供 :  たまプラーザ新聞 

当コーナーでは、この地域の古い時代の写真を募集しています。大まかな時代と場所が特定できる写真をお貸しいただける方は、ハガキ、FAX、またはひろたりあん編集部までご応募ください。提供者には謝礼を差し上げます。


■前に戻る■