■ひろたりあん通信バックナンバー

20045月号
 地産地消!おいしい野菜を食べましょう
         実食レポート あおば区編
 

地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■絹の道を往く 探訪編(鉄 町)Vol.17  

 雨で撤退を余儀なくされた絹の道散策。再スタートの準備が整うまで小休止 。リフレッシュのため、しばし絹の道から離れてみたいと思う。

嗚呼、烏が鳴く
 毎月の発行後に、たくさんのご意見やご感想をいただく。この地名推理ファイルやわが町今昔、担当した特集記事に対する内容には、すべて目を通すようにしている。

 根が単純なもので、「楽しかった」「勉強になった」「頑張ってください」といった称賛や激励の文字には、テンションはウナギのぼり。その日一日はゴキゲンで過ごせる。だが、たまに、本当にごくたま〜にだが、「つまらない」「もう飽きた」「嘘つき」「いいかげんなことを書くな」など酷評、批判が書かれていたりする。

 その文字は網膜から脳、そしてノミの心臓を直撃。マルチネスの左右のフックを浴びた長谷川穂積のように膝から崩れ落ちてゆくのである。

 先日も、先月号の地名推理ファイルでの誤字の指摘を読者の方からメールでいただいた。素盞鳴尊の素盞鳴尊の「鳴」の字は、「鳴」ではなく「嗚」。つまり、旁(ツクリ)が
「鳥(とり)」ではなく、「烏(カラス)」である…というご指摘だ。

(えっ、まさか!)急いで「ひろたりあん通信」を拡げ、拡大鏡で見てみると、果たして
「鳴」であった。(鳴く)の「鳴」、音読みだと(メイ)だ。「嗚」は、「嗚呼」の(ア)、もしくは(オ・ヲ)、つまり、スサノオのオ。もちろん宛字である。

 このことは正直知っていた。知っていたが、まさか「鳴」と変換されているとは…。ご指摘いただいたことに感謝。文字変換には十分に注意しなければ…と、肝に銘じるのであった。

   そんなショックが冷めやらないでいると、今度は市ヶ尾本店の事務所に電話が入った。女性からで、少々お怒りだという。慌てて転送してもらうと、「素盞鳴尊と書かれているけれど、どういう意図があって、その字を使われたのか?」という質問…いや、詰問だった。メールと同じく鳴と嗚の間違いのことかと思いながら応対していると、どうもそうではないらしい。「素盞鳴尊」の文字自体に問題があるという。

 スサノオノミコトは、文献によって様々な宛字が使われている。素戔男尊、素戔嗚尊、須佐之男命、須佐乃袁尊、須佐能袁命、凄ノ王…『古事記』『日本書紀』『出雲風土記』からマンガまで…。どのような意図といわれても、鐵神社の『山倉山大六天王尊』の説明書きに書かれてあったものをそのまま使っただけである。

  『古事記』や『日本書紀』から引用した文章ならば、間違いを指摘されても仕方がないが、意図は何かと尋ねられる意図がこちらには見えない。

  小心者の私は、急なことでもあり最初はオロオロしてしまったが、気を落ち着かせて話を伺う態勢を整えたら、「もういいです」と言って切られてしまった。(なんじゃ?)

匿名だったのでかけ直すわけにもいかない。

 以上のような理由なので、もし何かこちらが勘違いしているようなことがあるようならば、是非とも私、宮澤。もしくはペンネーム高丸を名指しでご連絡いただきたい。

 事務員さんはもちろん、他の社員も歴史に詳しくはない。質問されても要領を得ず、却ってご迷惑をおかけする結果になり申し訳ない。

 何卒、わたくし宮澤、宮澤高丸をご指名いただければと切にお願い申し上げる。

 後日、鐵神社に足を運んで説明板を確かめてみた。やはり「素盞鳴尊」と書かれていた。えっ?よく見ると、烏ではなく鳥…。膝、いや腰から砕け落ちた。山の向こうで烏が鳴く。カラスの勝手でしょ…ってオチか。

荏田のお伊勢橋
 お便りの中には、質問も多く含まれている。ほとんどが、地名推理ファイルで以前に紹介した事柄。

 連載が始まってから十二年も経つので忘れてしまっているか、最近読み始めた方か…、いずれにしろ、物語の進行上、唐突にその話を入れるわけにはいかないので、申し訳ないがスルーさせてもらっている。

 また、郷土史という性質上、文章に出来ない事柄もある。いわゆる地元ではタブーな歴史だ。取材中にいろいろ耳にするが、これもお応えできないのでご容赦願いたい。

 もし、どうしてもそういう話が聞きたいという方は、年に数回開催する講演会や、たこつぼ倶楽部の「高丸と行くシリーズ」のバスツアーにご参加いただきたい。話に夢中になるあまり、時々ポロッポロッとやってしまう。「ここだけの話」は「ここだけ」でご勘弁を…。

 そうそう、同じ質問が何件か来ていた。「田園都市線江田駅近くの交差点付近に『お伊勢橋』と書かれた橋があるが、なぜそんな名前が付いているのか?知りたい」という内容だ。

 こういう質問なら大丈夫。

 場所は江田駅横を走る国道二四六号線、江田駅東交差点から港北ニュータウン方面に五〇mほどの頭上に青色の橋が架かっている。そこに白色で書かれた「お伊勢橋」の文字。

 この橋のいわれは、ズバリ北東から南西に橋を渡った所に伊勢社という神社があったからである。現在タウンニュース社が入っているビルの近く。伊勢社は荏田の総鎮守・劔神社に合祀されて、今、その跡地は駐車場になっている。

 昭和三〇年頃の三千分の一地図で照らし合わせてみると、港北ニュータウンに向かうその道路は、山の斜面を切通して造られているのが分かる。「お伊勢橋」と、その先の「池尻橋」は、切り通しの上に架けられた橋なのである。ちなみに、「池尻橋」は鎌倉と東北を結ぶ鎌倉街道・中ノ道のルートだ。

五ヶ村用水のルート
 四月号の巻頭記事、「命の水から憩いの水へ」というタイトルで、川崎の二ヶ領用水を特集した。そのためか、五ヶ村用水に関する質問も多かった。

「五ヶ村用水も歩いてみたいので取水口の場所とルートを教えてほしい」と、ご夫婦で二ヶ領用水を歩かれたという男性から。

 記事の最後に小泉次大夫が鶴見川の五ヶ村用水も手がけていたことを書いた。

 こちらの取水口については、七年ほど前に調べに行っている。

 郷土史研究家の戸倉英太郎氏の著書『都筑の丘に拾う』を頼りに、寺家から早野、下麻生まで鶴見川沿いを散策してみた。『都筑の丘…』によると、五ヶ村用水路の最初に出来た旧堰の跡が川崎市下麻生と町田市三輪の市境にあるという。

                                             高丸

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