| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
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2012年1月号 青葉発!希望の町行き定期便 『Passion Aoba』 0泊2日被災地ボランティア同行記 |
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お祭り探偵出没! 奇跡の祭、受け継がれしもの…の巻 |
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石川村(たまプラ〜あざみ野周辺の早渕川流域)が江戸時代、江姫の領地だったことは、結局大河ドラマに採用されないまま終わりそうだ。 ささやかな期待を抱いていたのだが、ま、致し方ない。テレビには取り上げられなくても、石川村が徳川将軍家と縁の深い土地だったことは事実。そのことを多くの人に知ってもらえただけでも良しとしよう。
奇跡のまつり 村中の谷戸宮から、太鼓や御神 輿やお囃子が繰り出し、県の無形文化財である「牛込の獅子舞」を総鎮守である驚神社に奉納するために、大行列をつくって街中を練り歩く。 祇園祭や天神祭のような全国的に有名な祭と比べたら見劣りするだろうが、規模でいえば、横浜北部最大といっても過言ではないだろう。
本来、一つの村には神社は一つしかない。これは、明治から大正にかけての神社合祀(ごうし)令、つまり「村にある神社は合祀して一つの神社にまとめなさい」という国の命令があったためだ。 もちろん、合祀されれば神さまのいなくなった神社の建物は取り壊される。 しかし…石川村内にある谷戸宮(保木の十社宮、平川神社、牛込の神明社、荏子田八幡社、船頭の御嶽社…)は、すべて合祀されずに残っている。これは奇跡だ。何かある。もしかして、江姫と関係しているってことは?…まさかねぇ。
その奇跡の祭が、今年も10月8日と9日に行われた。 今年は宮元の皆さんのご好意で「祭の準備」から取材させていただけるという。
「宮元」とは、石川村の中村と下谷両地区(現在のあざみ野駅周辺と新石川にかけて)の呼び名で、驚神社の地元という意味だ。ちょうど締切り間際だったため、完全密着とはいかないが、出来る範囲で同行させていただいた。 最初に伺ったのは宵宮の二日前、御神輿を入れる神酒(みき)所作りだ。 何度も来ているのに気づかなかったが、周囲を杉の葉で飾っている。杉は神を請来するための依代の意味があるそうだ。
自治会館に上がると、縁起物の花は女性陣によって、すでに作り終えられていた。赤、青、緑、二〇〇本のカラフルな花は祭り当日お客さんに配られる。 その日は、けんちん汁がふるまわれ、そして飲み会。翌日は、御神輿の組み立てが行われ、そのあとに豚汁がふるまわれ、やっぱり飲み会。 連日酒が飲めるのも祭の喜び。それにしても、皆さん優しい。酒席の隅にいる部外者の自分に、「よく来てくれたね」と笑顔で声がかかる。グッと胸が熱くなった。
酒と仲間と男と女
宮元の神輿は、いわゆる「与太神輿」。 民家やお店にふらふら、子どもがいればふらふら、自由自在に寄り道して練り歩く。 神輿が通常より軽いというのが理由だそうだが、これが一転、いや、大回転。すごい勢いで回転する! 宮元神輿の大見せ場だ。見せ場といえば、祭り当日、堂前(平崎橋)に集結した平川、荏子田の神輿との競演、喧嘩神輿も圧巻だ。力強い保木の大太鼓も心に響く。 年々盛況になる伝統の祭、郷土史家の横溝潔さんに昭和四〇年代の祭のビデオを見せていただいた。 映っているのは、今の長老の皆さん。
「同じだ!」
街並みや衣装や顔の化粧は違っても、祭を楽しむ人の笑顔は今も昔も変わらない。カラっと底抜けの明るさ、爽やかな笑顔。祭にかける熱い思いが伝わってくる。これが宮元に受け継がれし伝統だ。 それにしてもパワーが衰えない。終盤になっても意気盛ん。「一年はこの時のためにある」といわんばかりにエネルギーをほとばしらせている。いったい、どこで補充しているんだ?酒か? 神輿が神社に戻り、最後に宮元恒例の日本酒イッキ飲みが始まった。 男も女も高々と一升瓶を掲げて酒を飲む。見惚れていたら、「ほら、宮澤さんも」と酒瓶を渡された。 「いや、まだ仕事が…」 躊躇するいとまもなく拝殿前へ。「取材に来てくれたお礼だから」と、手拍子に促されて、イッキに酒を流し込む。 「あっ、仲間だ!」
分かった、彼らのエネルギーの宮元…いや、源は仲間たちの熱い心だ。顔を下ろすと、底抜けの笑顔が境内にあふれていた。
歴史探偵・高丸こと宮澤高広 |
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