■ひろたりあん通信バックナンバー
2012年1月号
 
青葉発!希望の町行き定期便
     『Passion Aoba』 0泊2日被災地ボランティア同行記
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
極真会館 城西世田谷東支部 指導員  稲岡 祐樹 さん

 かつて、『空手バカ一代』という劇画があった。

 主人公は極真空手の創始者・大山倍達。『巨人の星』『あしたのジョー』の終了と同時に、少年マガジンで連載が始まった。

 折しも、映画『燃えよドラゴン』が大ヒット。空前の空手ブームに乗っかって、漫画バカ、映画バカだった学生時代の私も先輩と一緒に空手を習った。

 拳にタコが出来るまで頑張ったのだが、稽古の過酷さに耐えきれず、空手バカの道はあきらめた。それから、三十数年…その挫折のお陰で、現在は歴史バカ一代、果てなき修業をまっしぐら♪である。

地上最強の世界大会
 空手の世界のオリンピックともいえる『全世界空手道選手権大会』が始まったのも、ちょうどその頃だ。

 寸止めルールのそれまでの伝統的な空手の試合と違い、極真の試合はフルコンタクト(直接打撃)。当時、壮絶な戦いぶりから『地上最強のカラテ』と呼ばれ、映画にまでなった。

 昨年11月に行われた、その第10回大会に初出場を果たしたのが、今回ご紹介する稲岡祐樹さんだ。

「出場は叶ったんですけど、不本意な結果になってしまって…。場に飲まれたというか、いつもと違う感覚だったんですね」

 日本人ばかりの普段の試合と違い、今大会は192名の出場者のうち日本人は20名ほど。しかも、国内外の総道場数7500、門下生85000人の中から選ばれた強豪揃いである。

 関東のホープ、全日本ウェイト制中量級3位の実績をしても、一回戦敗退というから、そのレベルの高さが分かる。

「それも一つの経験かなと思って、また4年後を見据えて、年明けから計画的に稽古に励んでいます」

 元々は野球選手を目指していた。中学高校と野球の練習に励み、高校時代は県大会で優勝もした。しかし、日本体育大学に入学直後、異変が起きた。

「大学に入って、1年生の実力を見るよっていうときに、肩が痛くなって、もう塁間も投げられなかったんです。関節唇の損傷ということで、手術をしたんですけど、ダメでしたね」

 それが、空手の道に進む転機となった。

「自分の実家は空手道場なんです。父親が極真で指導していて、自分が小学2年生の時に茨城県の水戸で道場を出したんです。他流派ですけど。子供の頃にやってましたから、身体が結構覚えているんですね。ただ、打たれるのは慣れませんね。(笑)野球をやってた頃は57sくらいで痩せてましたから」  

 現在は77〜8キロ。同じ身長、体重でも脂肪と筋肉では、これほど見た目が違うのか…と、ため息が出た。

「健志台キャンパス(鴨志田)に通っていたので、藤が丘に住んでいたんですよ。強い人が沢山いるところがいいと思って道場を探していたら、三軒茶屋にあったんですね。そこに、恐る恐る入って(笑)今度の四月で六年目になります」。

 大学卒業後は、極真会館・城西世田谷東支部の指導員として、子どもから大人まで、幅広い年齢層に指導をされている。

「父が指導員として働いていた時に、極真の道場で稽古していたことがあります。覚えていないですけど…(笑)小学2年生からは、父の道場で4年間。極真の試合にも出させてもらってました。当時は、(子供たちの)レベルが高くなかったですから。今の子供達の試合に出たら、まず勝てませんね。現在はものすごくレベルが上がってます」

 指導をしていると学ぶことの方が多いと稲岡さん。

「子供たちには元気をもらえるし、大人の人達は自分よりもだいぶ年齢が上で、いろいろな職業の人達が集まってくるので、一緒に食事をしながら社会のこととか、勉強させてもらっています」

鍛え抜け、得意技
「今の極真空手は充実していて、カテゴリーが沢山あるんですよ。自分がやっているような一般の選手が一番上にあって、女子の一般とか、壮年の部でも、三十五歳から三十九歳とか、四十歳から四十五歳とか、細分化されて、そういう人たちにも全国大会や世界大会があり、目標が持てるようになっています。体重別で、フルコンタクトで戦っても怪我をしないように、サポーターやヘッドガードをつけて戦うので怪我の心配もありません」

 極真空手が他の流派と違うのは『組織力』だと稲岡さん。国際交流にも力を入れ、全世界の平和友好を目指している。知らない間に、空手界もずいぶんと進化したものである。

 「課題なんですけど、器用貧乏というのか、出来ないことはあまり無いんですよ。そのぶん、これだっていう得意技がない。それを、この四年間でどれだけ磨くことができるか。小よく大を制す。パワーは必要ですけど、150sの相手を力でガンガン押していこうと思っても無理。相手が来た所をいなしたりとか、巧く空回りさせたりとか、有利な部分で対抗して、観ている人たちに『お、凄いな』って、感動させられるような試合をしたいですね」

 夢は、やはり四年後の世界大会。そこで勝ち抜くには、まだまだ課題が多い。「己との戦いですね」と闘士を燃やす。

 強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない―混沌とした現代に求められているのは、彼のような「強くて優しい男」なのだ。 

あの頃を思い出し、覚えている技をやってみた。「チェスト―ッ!」久々の回し蹴り。ウッ、腰が…。か、空手バカ…痛い。



 

宮澤高広


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