■私を翻弄する「異常気象」
本来旅行業界では、四月の定番旅行といったら判を押したように桜観賞のコースばかりなのですが、それでも集客の苦労がないほど、日本人は桜に深い思い入れがあります。業界のしきたりを大切にする私も「また手抜き企画か」という上司のイヤミに耐えながら、毎年せっせと桜鑑賞旅行を催行してきましたが、今年は観測史上まれにみるほどの暖冬で、例年より桜の開花が十日から二週間も早まるという異常事態です。このままだと地球の温暖化に拍車がかかり、われわれ人類の行末はどうなるか?…はとりあえず後に回し、私にとっては、桜観賞ツアーが成立するや否や…が大きな問題となるのです。
皆様を最高の時期にご案内したいと、開花が早まることを想定して例年よりも早めの出発を設定しても、異常気象は私の想像以上に暴れまわり、桜鑑賞のはずが葉桜鑑賞になることは火を見るよりもあきらか、「桜が散るのなら、行く意味がないわ」とキャンセルされるのも無理ないこと。二月に催行した河津(葉)桜観賞のときに使った「桜は所詮自然のままに生きているわけで、葉桜だからといって怒る人間たちの身勝手な考えに付き合っていられない」という言訳も二度目はさすがに通用しません。
■遥か「名添乗員」への道
そういうわけで、今年の桜鑑賞ツアーは不調だったのですが、不調のまま終わらせては「迷惑添乗員」のそしりはいつまでたってもぬぐえません。手頃で桜の咲くのが遅い場所を探すと、信州高遠のコヒガンザクラならまだ間に合うとの情報をキャッチ。急いで手配をして、ご案内したのですが、今年の桜観賞は行くだけ無駄、という風潮が強いのに加え「森本さんの言うことなんか信用できないわ」なのか、反響は鈍く、結局バス一台での催行。「名添乗員」への道は長く険しいのです。
当日はあいにくの雨模様。試練を前に、私の心の中はどしゃ降り模様。それでもバスは中央自動車道をひた走り、諏訪ICを降りて杖突峠を越えた頃から、ようやく薄日が差してきました。
■高遠の桜が赤いのは
お昼近くにコヒガンザクラで有名な高遠城址公園に到着。信州高遠は七百年の歴史を持つ山裾の古き城下町です。戦国時代には武田氏の統治下にあった高遠城ですが、一五八二年に織田信忠(信長の長男)率いる大軍との死闘の末に、城主の仁科盛信(武田信玄の五男)はじめ高遠武田氏は滅亡しました。「あら、ここの桜はやけに赤いのね」「きっと私たちの美貌を前に、ポーッとなっているのよ」それは違います(きっぱり)。高遠のコヒガンザクラの花びらが赤いのは、先の死闘で流された兵士の血潮が花びらを染めたからだと言われているそうです。 その後、内藤家三万三千石の所領として明治維新に至る間、高遠は伊那地方における政治の中心地として栄えました。廃藩置県により高遠城は取り壊され、あたりが荒廃したのを見かねた旧藩士たちが、明治八年に当時の桜の名所だった「桜の馬場」の桜を千五百本移植したのが、高遠城址公園の起源です。
さて肝心の桜の開花状況、前日の風雨のせいか「散り始め」ですが、それでも開花率八十%。今回参加されたお客様のほとんどが、高遠のコヒガンザクラ観賞初体験。「散り始めとはいえここまで鮮やかなピンク色の桜を見られるなんて、来たかいがあったわ」とお客様の嬉しいお言葉。「森本さんを信じてよかったわ」もっともっと私を信じてくださいね。高遠に来てようやく、皆様に満足していただける桜観賞を果たすことができたようです。
■お気の毒に…
「三日前のツアーの時は満開でした」とは、バスガイドさんのコメント。さらに彼女は少し悲しげな顔で「来週の月曜日と金曜日、もう二回ここに来なければならないんです」「まあ、お気の毒に」その頃には完全な葉桜観賞のツアーになるでしょうね。旅行業界に身を置いている立場として他人事ながら同情を禁じえません。
高遠城址公園を後にして杖突峠にさしかかった頃、急に青空が広がり、諏訪市内が一望に見えました。私の未来にも光明が見えてきたような気がします。
長野県のお土産といったら野沢菜。帰路に寄ったお土産屋さんには、トコロテンのように観光バスが次から次へと入っては出て行きます。高遠城址公園のコヒガンザクラ以上に盛りあがりを見せてくれました。
上りの中央自動車道は快晴。車中から見渡す雄大な南アルプスや八ヶ岳の風景は絶景でした。地球温暖化の危機は深刻ですが、四季のある日本の美しさを後世に伝えていきたいものです。
(森 本)
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