■ひろたりあん通信旅行版
5月14日〜5月16日
   「京都葵祭と大阪・神戸三都めぐり」
■まるでコバンザメ?
 今回は京都葵祭をご案内しました。ひろたりあん旅倶楽部の人気コースとしてお祭りが掲げられますが、特に京都の三大祭りは、その長い歴史に裏打ちされた洗練さが、見る者の心をひきつけてはなしません。ただお祭りはお天気しだいというのがネックです。雨天の場合は翌日に順延となるので、必然と二泊のコースを取らざるを得ないのです。そこで今回は意外と関東の方が見落としがちな、神戸と大阪を巡る「三都めぐり」とセットにしました。王朝貴族文化の残る京都、活気ある商人の町大阪、西洋文化と融合した港町神戸、魅力的な取り合わせだと思いませんか?

 当日は一気に神戸までバスを進めていくので早朝の出発。一分でも早く現地に着きたいと思っていたのですが、そんな日に限って名神高速は工事のため、なんと三十キロ以上の大渋滞。愕然とした矢先、JRの大阪行のハイウェイバスが私たちのバスを横切り、「よし、このバスについて行けば渋滞は避けられるかも」あたかもコバンザメのようにこのバスの後について、名阪国道経由の、別ルートでご案内することとなりました。「他人のふんどしで相撲を取る」という、わが社の社風?「たにふん主義」は、かように社員の末端まで浸透しているというわけです。 「森本さんは裏道をよく知っているね、感心するよ」そうです、私の人生は裏道抜け道まっしぐら。日の当たらない人生を、歩いてばかりいたことがこんなところで役に立つとは光栄に思います。

■バイタリティを実感
 そんなわけで、予定から大幅に遅れることなく神戸に到着。
写真  異国情緒の漂う神戸の観光スポットとしてはずせないのが北野町です。この北野町は神戸中心部にあり、居留地時代の面影を残す明治時代の洋館が集中するエリアです。海を見下ろす高台に、公開異人館が点在し、異国の文化と歴史が体験できることで、特に女性の方に人気のあるスポットです。私たち一行は、北野町のシンボルともいえる「風見鶏の館」を見学しました。内部の調度類やインテリアもさることながら、特にお客様の目を引いたのが、七年前の阪神大震災の写真が展示されているギャラリーです。ギャラリーに入るやいなや、目に飛び込んできたのはあの痛ましい光景でした。平穏無事であることを当たり前に感じて生活している私たちには、背筋が凍るような衝撃的な写真でした。震災はこの北野町の歴史的建造物にも相当なダメージを与えたそうですが、それを感じさせないほどの復興ぶりです。北野町のみならず、震災の爪痕を微塵さえも感じさせない神戸の街の活気に、神戸市民のバイタリティを実感しました。

■大満腹?
 北野町をあとにして次にご案内したのが、神戸港からのディナークルーズです。神戸を楽しんでいただくにはこの企画はうってつけと自負しております。港とともに歩んできた神戸の街。「みなと神戸」を代表する風景を、船上から昼から夜へと移ろいゆく景色を楽しみ、神戸の名物として名高い中華街、その老舗中華料理店のシェフが作った中華料理のバイキングの夕食ですから。明石海峡大橋まで往復する、たそがれ時の二時間程度のコースに、満腹…もとい満足した私達一行でした。 写真  ディナークルーズを終えてバスで宿泊先の「ホテル阪神」に入ります。このホテルは天然温泉が全客室で楽しめるのが魅力です。長旅の疲れをゆっくり温泉で流してから、就寝しました。

■お天気が心配です
 二日目は今回の旅行のハイライトである京都葵祭です。気になる天気ですが、午後から雨が降るかもしれないとのことで、いささか気分も曇りがちです。

 温泉と睡眠で、すっきりした皆さんと、バスで一路葵祭りの会場の京都御苑へ向かいました。葵祭は賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で毎年五月十五日に行われ、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭に数えられています。古くは賀茂祭、または北の祭とも称せられ、平安中期の宮廷貴族の間では、単に「まつり」といえば、この葵祭のことであるといわれるほど有名でした。総勢約五百名、馬三十六頭、牛四頭、牛車二基の行列は、先頭から最後尾まで一キロにも及び、平安朝貴族そのままの姿で京都御所を十時半に出発、その列が京都市内を練り、賀茂御祖神社を経て賀茂別雷神社へと向かうのです。

■「車争い」とは無縁です
 葵祭の見所のひとつに「斎王代」を中心にした女人行列があります。「斎王代」とは、文字通り斎王の代理、いわば「ミス葵祭」で、民間の未婚の女性から選ばれます。華やかな中に雅を湛えるその行列は、まさしく王朝絵巻です。かつては伊勢や賀茂などの格式の高い神社には、神に奉仕する斎王がいました。斎王すなわち「いつきのひめみこ」は、未婚の内親王から選ばれました。葵祭では斎王が出御し、女官たちを引き連れ、一条大宮で勅使たちと合流したそうですが、その行列は大変華やかだったそうで、都人がこぞって見物に集まったそうです。

写真  紫式部の「源氏物語」の「葵の巻」、ある年の斎王列見物でのこと、今をときめく光源氏の正妻、葵の上と、源氏からの愛がさめた六条御息所とが衝突し、見物の列からハジキ飛ばされた御息所のうらみは生霊となって、やがて葵の上にとりつき、葵の上は夕霧を産んだ後に急死してしまいます。これが有名な「車争い」の条で、車争いとは、牛車の駐車場の取り合いをめぐる、従者たちの乱闘のことです。もちろんひろたりあん旅倶楽部の旅行は準備万端、車争いとは無縁です。

■愛が芽生えたら…
 葵祭の午前の部は一時間足らずで終了。意外とあっけなく終わってしまい、拍子抜けをしたような感じになりましたが、気をとり直すように私たち一行は昼食へと向かいます。昼食は八坂神社の北側の三百年もの歴史のある「いもぼう平野家本家」をご案内しました。店名にもなっている「いもぼう」は北海道産の棒タラと京野菜のエビイモを秘伝の味付けで一昼夜煮込んだ、京を代表する料理のひとつです。海と山の幸が調和していることから、カップルで食べると縁起がいいと言われてます。お客様は皆ご夫婦連れの方ばかり、一層の夫婦円満が期待できそうですね。それに引き換え私はバスの運転手さんと二人きりでこの「いもぼう」を食べましたが、愛が芽生えたらどうしましょう?

 昼食後は知恩院を中心に八坂神社や祇園の自由散策です。浄土宗の総本山である知恩院は開祖・法然の終焉の地として知られています。また毎年大晦日になると重さ七十トンの巨大鐘による除夜の鐘が、必ずテレビで放映されるのは周知のとおりです。

 この周辺は、春になると大樹の祇園シダレザクラが有名な円山公園や、平安京の東方を守る八坂神社など、豊かな東山の自然のなかに名所旧跡が点在し、何気ない小路にも京都情緒が漂っていました。

 突然雨足が強くなり、葵祭の午後の部は中止。それでも午前中にしっかりと観覧できたのは悪運の強さでしょうか。結局早めにホテルにチェックイン。小休憩したあと夜は京都市内の料亭でのお夕食です。

■オレが説教してやる
 旅倶楽部のお客様は半径五キロくらいの地域に在住の方がほとんどで、どこに旅してもローカルな話題で盛り上がるという特色があります。今回の話題はこの同行記について、「京都旅行記はいつ発行するの?」からはじまり、「今度はこんなオチで、イヤミな上司がこのタイミングで出てくるね」とか、あたかも競馬の予想のごとく話が進んでいきます。お酒がすすむと、「あのイヤミな上司って一体誰?」という謎解きに一時間は話が尽きませんでした。「次の旅行は森本さんの代わりに添乗させたら?まさか口ばっかり達者で本当は何もできないじゃないの?」「部下を批判してばかりで、何もできないようでは管理者として恥すべきだ」「オレが説教してやるから、今すぐ連絡とって話をさせろ」と、話はどんどんエスカレート。収拾がつかなくなり困っていると、ホテルからの電話の助け舟、私はすかさず退散しました。やれやれ。

写真■覚悟してくださいね
 三日目は銀閣寺から。銀閣寺は足利義政が文明十四年(一四八二)に山荘として建立し、義政の死後に寺院となりましたが、わび、さびを感じさせる風流な建物です。また銀閣寺橋から若王子橋までの琵琶湖流水沿いの道を「哲学の道」といい、かつて旧三高生が哲学的思索にふけった道は二キロほど。春には関雪桜が咲き誇り、初夏の夕方にはホタルが飛び交ったりしています。

 最後は大原の里で、山菜料理の昼食と三千院等の散策です。上品に盛りつけられた山菜料理は好評でしたが、私が毎日こんな食事をしたら間違いなくダイエットは成功しそうですね。

 さて次回の旅は、お客様のご要望にお応えして、イヤミな上司に登場していただきましょうか。覚悟してくださいね。もっとも覚悟しなくてはいけないのは、案外お客様の方だったりして…。

                                   (森 本)
▼2002・4・30へ

■前に戻る■