■ひろたりあん通信旅行版
9月23日・9月25日
   「ゆったり上高地フリータイム」
■恵まれない私
 「今度は上高地だってな」ひろたりあん通信のスタッフから「鬼のような」と形容される編集キャップが、私に声をかけました。なんでも学生時代に何度か上高地を訪れたことがあるそうで、その手垢のついていない自然に魅了されたそうです。「オレも連れて行け、もちろんタダで」「ダメです」毅然とした態度で断る私。「いいだろう、おまえだってタダで行ってんだろう?」「当然です、私のは仕事、お客様のお世話係ですから」「じゃあ、社員割引でどうだ」「そんなものありません!」図々しいたらありゃしない。「うーん…」キャップはしばらく考えた後「じゃあいいよ、お客として行ってやるから、そんときはおまえを思いっきりこき使ってやる!」そう言い捨てキャップは帰っていきました。イヤミな上司といい、この編集キャップといい、私はなんて上司に恵まれないんでしょうか。

■そろそろ止めにしてくれない?
 「ゆったり上高地フリータイム」は、早朝出発、夜遅くの帰着にもかかわらず、百八十名の方にご参加いただきました。今回はお仕事を持っていらっしゃる方の参加の便を考慮して、休日にも設定したのが功を奏したようです。ただ私としては渋滞の少ない平日のコースをおすすめしたいのですが、そうも言ってはいられません。「ひろたりあんのバス旅行に参加したいから、会社を休ませてください」なんて口が裂けても言えませんでしょ。ちなみに、編集キャップはスケジュールが調整できず不参加、神は私を見棄てないでくださったようです。

写真  それにしても人はなぜ上高地に魅きつけられるのでしょうか?決して交通の便に恵まれていないのに、ましてや通年のマイカー規制にもかかわらず、全国から人の波が押し寄せます。焼岳のたび重なる噴火によって創り出された神秘的な景観、「日本の近代登山の父」イギリス人宣教師ウェストン卿が、その著書「日本アルプスの登山と探検」で、世界に紹介した十九世紀から、風景保護という大きな慈しみに守られた成果が実を結んだ『聖地』それが上高地なのです。

 「今回はリベンジなんだよ」このお客様は、旅倶楽部発足当時の初めての上高地旅行企画が、大雨による釜トンネルの土砂崩れで中止となったときの「幻」の参加者でした。当時、旅行催行のたびに雨にたたられ「おまえは雨男だ」「いや、おまえ自身が低気圧なんだ」と迫害を受けていたことを思い出しました。もっとも未だに私のことを雨男と思い込んでいる方もいるようで、私の顔を見るたびに「あら天気は大丈夫かしら」と心配するのは、そろそろ止めにして欲しいものです。現実に今回も好天気に恵まれたのですから…。

■上高地を堪能
 上高地に入ったバスは、大正池のバス停で希望者を降ろした後、バスターミナルに到着。ここからは約四時間のフリータイム、みなさん思い思いの散策を始めます。定番のコースは、大正池から田代池、河童橋を経て明神で折り返すというもので、時間にして約三時間です。大正四年の焼岳の大噴火によって梓川がせき止められてできた大正池。 写真 背景の焼岳を映す水面から、立ち枯れた木々が突き出た姿は、まさに幻想的です。さらに上高地自然研究路を歩き、途中の湿原で休憩したり、上高地帝国ホテルでお茶をするのもよし、ウェストン広場と梓川に沿って、上高地のシンボル河童橋に至ります。河童橋は絶好の展望台でもあります。上流側から、西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳、下流を見れば噴煙たなびく焼岳と、三千m級の北アルプスの偉容が迫ります。また梓川に降りて清冽とも言える冷たい流れに手を浸せば、身も心も洗われるような心地がします。河童橋からさらに一時間、穂高神社奥宮の神域とされている明神池まで足を延ばすのもいいですね。池を囲む深い森と熊笹、水面に点在する岩々、その趣きは自然が作り上げた巧まざる日本庭園といったところでしょうか。

 四時間という時間が十分かそうではないかは意見の分かれるところですが、大正池から明神池まで歩かれたツワモノから、ホテルのラウンジでのんびりと過ごされた方まで、皆一様にそろそろ冬支度を迎える上高地の魅力を、堪能されたご様子でした。

■どっちにしろ同じこと…
 そろそろ退社時間が迫る頃、脳みそに汗をかきながらこの同行記をしたためていると、鬼のような編集キャップが顔を出しました。私の進行状況を確かめた後「おまえの記事があがらないと、オレの仕事が進まないんだ。オレはもう帰るから、おまえは徹夜してでも今夜中に書き上げろ!」やれやれ、旅行に参加しようがしまいが、私を思いっきりこき使うことには変わりないのです。
                                   (森 本)
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