■ひろたりあん通信旅行版
6月22日〜7月5日
    「ゴールデンプリンセスで行く地中海&エーゲ海クルーズ」後編
■オルフェウス級の悲劇?
写真  トルコのクシャダスに到着。私たちは世界最大級の遺跡エフェソス都市遺跡と聖母マリアの家など初期キリスト教の興味深い遺跡への観光にでかけました。エフェソスは紀元前十世紀に都市国家が興り、各帝国から支配を受けながらも発展を続けていました。最盛期を迎えたのは、紀元前一三三年にローマの属領となってからで、一時は人口二五万人といわれる大都市へと発展していったのです。

 お昼過ぎには再び船上の人となり、次の寄港地、イスタンブールへと向かいました。
 クルーズ旅行の楽しみの一つは、食事です。「ゴールデン・プリンセス」のシェフは全員が味にこだわりをもつイタリア人で、。期待は膨らみますが、ところが、今回の旅行の前半戦はかなり強行軍だったため、船内に数多くあるレストランを制覇する余裕がありませんでした。これは私にとって、古代ギリシャのオルフェウスの神話に匹敵するほどの悲劇といえます(エーゲ海を旅して、ギリシャびいきになった私です)。アテネ以後の後半戦は余裕のあるスケジュールに変わり、八日目の夜にして初めてサブ・レストランへ足を運ぶことができました。「サバティーニ・トラットリア」は、日本にも出店しているイタリアンの名店で、そこの料理が船上でいただけます。

■ノー・プロブレム
 お店に入ると「オーソレ・ミオ」を歌いながら陽気なイタリア人達がお出迎え。オーダーのときも歌うのを止めず、少々おかしいやら、うるさいやら。歌うウエイター以上に私たちを驚かせたのが食事のボリュームで、前菜は十種類、一つ選ぶのかと思っていたら「全品出てくるよ」さすがの私でも圧倒されてしまいました。「ボリュームがありすぎるよ」と私が言うと、彼はすかさず「ノー・プロブレム。タラタラッタラッタ〜」と歌いながら去ってしまいました。

 翌日の朝八時にイスタンブールに到着。イスタンブールはボスポラス海峡に臨んで洋の東西を分け、異文化の衝突の中で発展してきた街です。
 午前中はまずトプカプ宮殿を見学しました。この宮殿は金角湾(ゴールデン・ホーン)とボスポラス海峡を一望する丘の上に建ち、約三七〇年間のオスマン・トルコ帝国の中心地として、威光を示し続けてきました。現在では博物館として公開されていますが、唸るほどの財宝や世界中の陶磁器が約一万二千点を超えるコレクションの総数で、オスマン帝国の権勢がしのばれます。なかでも私が羨ましい…もとい憤慨した(?)のが宮殿内の「ハレム」でした。「ハレム」とはアラビア語でタブーという意味。文字通り男子禁制の場所で、男性は出入が許可された黒人官僚とハレムの持ち主であるスルタンだけでした。第一から第四の正妻、寵姫、スルタンの母のほか、贈呈されたり金銭で買われた女官ら、常時五百〜千人ほどの女性が生活していたのです。

■笑わせ賃?
 トプカピ宮殿を出るとトルコ名物の物売りが、牛を襲うピラニアのようにたかってきました。「ガイドブック1ドル、1ドル(約百二十円)」私が「いらない、いらない」「じゃあ1ユーロ、1ユーロ(約百四十円)」「いらないよ」「じゃあ千円、千円」「???」私が断るたびになぜか値上げをしていきます。これがギャグなのか貨幣価値に対する無知なのかよくわかりませんが、なんとなくおかしかったので、その笑わせ賃のつもりで、千円だというトルコの帽子を値切って1ユーロで購入しました。私がこの帽子をかぶるとなぜか周りから大爆笑、帽子一つで大ウケの私って何なのでしょう?先日カプリ島で「BIG SON」扱いされたアメリカ人夫婦と一緒に写真を撮らされたのは言うまでもありません。

■姫路では安い?
 トルコ料理の昼食の後、午後はイスタンブールのシンボルであるブルーモスクと、グランドバザールでのショッピングです。 写真 ツアーガイドお勧めの店は、流暢な日本語で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれるちょっと怪しげな絨毯屋。どんな手口で私たちをだますのだろう…興味と不安とを半分ずつ抱いて、主人の言われるままに部屋に入ります。主人はお茶をすすめるとすぐに、次から次へと絨毯を広げはじめました。「この絨毯はここで買えば三十万円、日本のデパートで買えば百万円は下らないよ」貧乏性ゆえに反応に乏しい私に、彼は商売をあきらめたようです。

「東京で買えば三倍するけど、姫路で買えば二倍で済むよ」「はぁ?」なんで姫路なの?姫路がペルシャ絨毯の産地だなんて、地理の時間に習った覚えはありません。「実は私の奥さんの実家が姫路です」このご主人三年前に来日し、今の奥さんと知り合い、結婚したのが姫路だそうで、現在は夫婦でイスタンブールに住んでいるとのことです。「姫路、いいところ、日本人、いい人」彼には最初から私たちをだます意図はなかったようです。「絨毯欲しくなったら姫路で買ってね」
 夕方になってゴールデン・プリンセスが待つ港へ戻り、午後六時に出港。三泊四日かけて最終寄港地水の都「ベニス」へ向かいます。

■アポロン像のように…
 イスタンブールから、エーゲ海、アドリア海を航海してベニス到着までは三泊。この間は私にとって、夕食以外の時間は自由行動。今までの観光(つまりは仕事)の疲れを癒すには十分な時間です。毎朝、六百mあるデッキを十周ジョギング、昼はスイミングにフィットネスジムでのトレーニングという日課で、私の頑固な脂肪を削ぎ落とすつもりだったのですが、苦労の割には体重が変わらないのはなぜでしょうか。おそらく私の脂肪は、ポンペイの広場で見たアポロン像のような、美しい筋肉に変貌したのだ…と思い込むことにしました。

■ゴンドラの復讐?
写真  ようやく最終寄港地ベニスに到着。中世の栄華を抱いてたたずむ水の都ベニスは、街全体が観光名所といった感じです。張りめぐらされた運河が道路代わりのベニスでは、交通手段はヴァポレット(水上路線バス)や水上タクシー、ゴンドラです。私たち一行は水上タクシーで中心部まで移動、ベニス名物のゴンドラに乗り込みます。「森本が乗り込んだ途端、あわれゴンドラはベニスの大運河に水没してしまった…」という結末を期待されている方も多いかと思いますが、ベニスのゴンドラは根性がありました。定員六名のところ五人目に私が乗り込むと、大揺れはしたものの、無類なるその根性で、ゴンドラは踏みとどまったのです。そんな私の体重に対するゴンドラの復讐なのか、私はなぜか船頭さんの助手?として舟先に座らされ、「もう少し身体を右に傾けて」とか「身体を動かさないで」などという船頭さんの指示に従いながら、ゴンドラの舵取りと、乗客の安全のために貢献させられたのでした。

 約一時間、ゴンドラを楽しんだあとは、チャーターした水上バスでムラーノ島へ向かいました。このムラーノ島はヴェネチアン・グラスの故郷であり、船着場近くにはガラス製品の専門店や土産物、工房が軒を連ねています。以前は「ムラーノ島で買うヴェネチアン・ガラスは安い」と言われたものですが、お店の値札を見てみると目玉が飛び出そうな金額です。「安い」という評判は、私みたいな庶民からではなく、世の中のお金持ちの中から生まれてきたようです。それでも目の保養にはなりましたが…。

■芸術のわかる鳩?
 昼食後、ベニスの中心的広場のサン・マルコ広場に向かいました。『世界の大広場』このサン・マルコ広場は千年かけて創り上げた壮麗な空間で、かのナポレオンに「世界で最も美しい空間」と言わしめたほどです。それだけに観光客で賑わっていますが、人間より多いのではないかと思うのが鳩。さすがベニスの鳩は、芸術的空間がわかるのです…、というのはもちろん冗談で、広場内の屋台では鳩の餌も売っていて、それに慣れきった鳩が、人間を恐れることなく、集団で餌をねだりにくるのです。

 夕方までベニスを散策し、船に戻りました。翌日はいよいよ下船です。荷物の整理や書類のチェックをしたら深夜まで及び、ほとんど寝る間もありません。そして顔見知りの乗組員や乗客たちと別れを惜しみつつ早朝には下船。ベニス・マルコポーロ空港に向かい、フランクフルト経由で日本に帰ります。

■ドイツ人はダジャレ好き?
 フランクフルトで乗り継ぎの時間が六時間あったので、フランクフルト市内の観光に出かけました。EU連合国内はパスポートチェックがなく、手続きなしでドイツに入国できるのです(余談ですが、今回七カ国九ヵ所周遊したのに、パスポートのスタンプは日本での出入国の二つだけでした)。

 フランクフルトはドイツの金融・商業の要となっている都市で、一見面白みのない街のように思えますが、中世から歴史・文化が豊かに育まれた街でもあります。空港から速度無制限のアウトバーンをひた走り、「マインハッタン」と呼ばれる市内の中心部へ向かいます。マイン河のほとりにある高層ビル群のシチュエーションが、ニューヨークのマンハッタン似ているので、マイン河の名前をもじって「マインハッタン」の愛称がつけられたとのこと。ドイツ人もダジャレ好きなのかな?

写真  私たちはフランクフルト発展の基礎となったエリアのレーマ広場に向かいました。この広場は、レーマ(旧市庁舎)や大聖堂、ニコライ堂、詩人ゲーテが誕生した家「ゲーテハウス」など、フランクフルトの街歩きの基点には絶好の場所です。地中海やエーゲ海地方とはうって変わってドイツはとても涼しく(もっとも私たちが到着する前日までは猛暑だったそうです)、体型的に暑さが苦手な私にとっては快適な国で、とても気に入りました。

 わずかなフランクフルト市内観光を楽しみ空港へ舞い戻り、午後には機上の人となり、二週間の長旅を終えたのでした。
                                         (森 本)
▼2003・6・22〜7・5前編へ

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