■ひろたりあん通信旅行版
8月30日〜9月7日
   「ラストフロンティア アラスカクルーズ」
■灼熱地獄から逃れたい
 私にとって、夏は体型的に一番苦手な季節であることはご承知の通り。ツアーでヨーロッパに行けば、観測史上最大の猛暑だわ、日本に帰ってきたら、イヤミな上司の暑苦しいイヤミが待ち構えているわ、彼から逃れるように添乗に行ったら、人使いの荒い意地悪バスガイドさんの炎のような毒舌攻撃を受けるわ…と、この灼熱地獄から逃れるところはないかと、探したところ「ラストフロンティア・アラスカ」という文字が目に飛び込んできました。「よし、ここなら仕事と称して逃亡できる」と企画したのが「ラストフロンティア・アラスカクルーズ」です。

 当日は午後に成田空港を出発、一路アラスカのゲートウェイ都市、シアトルに到着。早速市内観光へご案内しました。
 緑と水に囲まれた美しい街シアトルは「エメラルドシティ」の愛称を持ちますが、最近では日本人メジャーリーガーが活躍しているシアトル・マリナーズや、日本にも勢力を広げつつあるスターバックスコーヒーの発祥の地であることの方が知られていると思います。

■市場は楽しい
 最初に訪れたのは、シアトルのスカイラインを眺めるには絶景のポイントのアルカイ・ビーチ・パークです。一八五一年、アーサー・デニーをはじめ二十二名が、長い旅の末にたどり着いたここに居を構えたのが、シアトルの発展の発端です。彼らの上陸したポイントには、小さな自由の女神像が建てられています。

 次にワシントン湖と太平洋を結んでいるチッテンデン水門とフィシュラダーを訪れました。ボートを所持する人が多いシアトル市民にとって、この水門は必要不可欠ですが、サケが産卵のため、このワシントン湖を通って川を遡上していくのを水門が邪魔しないように人工的に作られたのがフィシュラダーで、いわゆる魚の通り道です。この階段状のフィッシュラダーを上るサケの姿を、ガラス越しに見ることができます。私たちが訪れたときもサケの大群が押し寄せていました。

写真  市場の楽しさは世界共通ですが、シアトルで一番人気のあるスポットもやっぱり市場、パイク・プレイス・マーケットです。一九〇七年農産物の価格の高騰に、怒れる数百名の農民たちが、野菜をワゴンに積んで集まったのがきっかけだそうです。素顔のシアトルに触れ、見ているだけでも楽しく、買い手との商談がまとまると売り手は、商品のカニやサーモンをカウンターに放り投げるパフォーマンスをやってくれます。

■双子の姉妹
 シアトル市内の観光を終え、シアトル・マリナーズの本拠地「セーフコフィールド」を横目で見ると、そのすぐ目の前が私達一行が乗り込む「スター・プリンセス」が待つ桟橋です。初めてクルーズ客船に乗り込む方は呆然として「これが船なの」と驚かれる様子はいつもと同様です。実は「スター・プリンセス」は前回二週間かけて地中海とエーゲ海を周遊した「ゴールデン・プリンセス」と同じ十万九千トンで、大きさも内装も全く同じ双子姉妹のような船なのです。この二隻の船は横幅が大きすぎてパナマ運河を航行できません。「ゴールデン・プリンセス」は夏は地中海やエーゲ海を廻り、冬は大西洋を横断してカリブ海を周遊するのに対し、「スター・プリンセス」は夏はアラスカ、冬はメキシカン・リビエラを周遊と、アメリカ大陸の東西で棲み分けされているのです。

■「ラストフロンティア」へ出港
写真  チェックインを済ませ、昼食、小休憩をとり、出港前の非難訓練が終わってから、シアトルを出港。当然のごとくアラスカの観光のベストシーズンは夏です。しかし条件のよい夏でさえ、飛行機か船でないと行きにくいところがアラスカで、アメリカ人からみてもアラスカは秘境の地、まさしく「ラスト・フロンティア」と言うのに相応しいところです。 その「ラスト・フロンティア」に楽々アクセスする「スター・プリンセス」なら合理的な旅が可能で、リゾートホテルを備えた巨大な街といっても過言ではありません。お腹がすいたらいつでも営業している二十四時間オープンのレストランや十ヵ所のバーラウンジ(終電を気にしないでお酒を飲めるのは嬉しいですね)賭けたい放題、支払放題のカジノ(当然勝ったら現金に換えられます)ブテイック・免税品・宝飾品は言うまでもなく、アートギャラリーではピカソの絵画などがオークションにかけられていました。

 船内見学だけでも一晩はかかるビックスケールの「スター・プリンセス」はシアトルから二泊かけて、千キロ以上はなれたアラスカの州都ジュノーへ向かいました。

■因果関係はありません
 二泊かけて最初の寄港地ジュノーに到着。人口約三万のジュノーはアラスカ州の州都です。一八八〇年、一攫千金を夢見てアラスカにやって来たジョー・ジュノーとリチャード・ハリスは、先住民族クリンキット・インディアンのコウィー酋長の助言によって、有望な金の鉱脈を発見し、アラスカにゴールドラッシュの火を点けました。その後新天地に夢を託す人々で街は活気づき、金脈発見者の名にちなんだ「ジュノー」の街は、一九〇六年にシトカからアラスカ州都が移され、行政の中心となりました。金鉱は一九四四年に閉鎖されましたが、現在は水産業や貿易、製材業が、ジュノーの発展に寄与しているそうです。

 船を降りると、秘境の地アラスカはあいにくの雨。過去に「雨男」と罵倒され続けた日々が、にわかに甦ってきますが、元々アラスカは合衆国の中で一番降水量が多い地域で(年間四千ミリ)そのほとんどが夏に集中します。私の悲劇的な過去とは、何の因果関係もないことを、強調させていただこうと思います。

■墜落したら私のせい?
 さて、ジュノーでの定番の観光、メンデンホール氷河のヘリコプターツアーに参加しました。現地の係員のおねえさんから「あなたの名前と体重を書いてね」と申告書を渡されました。「体重を正直に申告して搭乗拒否されたら困るなあ」と思い、体重をサバ読んで申告すると、おねえさんは「もし墜落したらこの人のせいよ」と言わんばかりの怖い目で私を睨みつけたのです。でも私はともかく、ご婦人の方々なら、たぶん一割くらいは過少申告するはずですから、そのあたりは計算済みだと思うのですが…。

 ヘリコプターは操縦士を含め定員は七名。なのに私が乗り込むヘリコプターは、飛行バランスをとるために一人分の席を空けて六人に制限。体重の過少申告は、やっぱりバレていたようです。

 見栄っ張りを乗せたヘリコプターは、ジュノーの二十キロ北にあるメンデンホール氷河に向かいます。壁の高さ約三十メートル、幅は一、六キロにも及ぶ氷河は夏でも溶けることはありません。

■過少申告はお互い様です
写真  ジュノー上空を周遊すること三十分、いよいよメンデンホール氷河に着陸。何千年もの歴史を刻む氷河に降り立つや否や「あらやだ、森本さんが降りたら氷河に亀裂ができたわ」口さがない同行の女性のお客様からイヤミの洗礼。足元を見ると確かに私は亀裂をまたいでいましたが「私の体重くらいで氷河が割れるわけないでしょ!」すると「それもそうね、何千年もかけて大きくなった氷河が、今ここで、あなたごときに割られたんじゃあ、何のためにこれまで頑張ったのか、わからなくなっちゃうわよね」な、なんということを…。私の体重ばかりをダシにしますが、きっと彼女だって、体重を過少申告したに違いないと思います。

 それにしても八月とはいえ氷河の上は寒い。おまけに強風と雨で一層気温が下がり、手の感覚が麻痺するほどです。「森本さんがうらやましいわ、脂肪で重装備しているから寒くないでしょ」と、先の過少申告夫人。余計なお世話です。  メンデンホールをあとにして「スタープリンセス」が待つジュノーに戻ります。出港は深夜なので、お客様とジュノーの街を散策しました。すでにゴールドラッシュ時の面影はなく、軒を連ねたジュエリーショップなどの宝飾店が、賑わいを見せていました。

■火災にあわなかった街
 翌日早朝、「スタープリンセス」はスキャグウェイに到着。ここもゴールドラッシュで生まれた街です。一八八七年、キャプテンウィリアムがこの地に辿り着いたときから、金を掘り当てようと荒くれどもが集まりはじめました。そのため、街には犯罪が絶えなかったそうです。 写真 中でもこの街の歴史に悪名高き男として残っているのが通称『ソーピー・スミス』で、スキャグウェイの街を私物化し、勤勉で善良な市民からお金を巻き上げ、私腹を肥やしたこの男は、町を建て直そうと立ち上がった男フランク・レイドとの決闘に敗れ、この世を去りました。町はずれにある墓地で、彼の墓とその記念碑を見ることができます。

 しかし、良くも悪くもそんな活気も長くは続かず、一時二万人を超えたスキャグウェイも、金が尽きた現在では住民は僅か八百人。そんな静かなスキャグウェイが、アラスカで最も当時の雰囲気を留めていると言われるのは、珍しく火災にあわなかったからだそうで、華やかかりし頃の面影を求めて、年間十五万人の観光客が訪れるそうです。

 さて、私たちはスキャグウェイ観光のハイライトの一つ『ホワイト・パス&ユーコン列車』の旅に出かけます。

■ダルマストーブは合計三つです
 私たち一行はスキャグウェイ観光の定番といわれるホワイト・パス&ユーコン列車に乗車しました。列車は港の目の前から乗り込めるのでとても便利です。この鉄道はユーコン川流域のクロンダイクの金鉱発見によるゴールドラッシュの最盛期、一八九八年に建設がはじまり、アラスカ州スキャグウェイからホワイトホース(カナダのユーコン準州)までの約百八十キロが、一九〇〇年に開通しました。それ以後、多くの人々と荷物を乗せて走り続けてきましたが、鉱石運搬を主な収入源としていたこの鉄道は鉱物の物価格の下落により一九八二年十月に営業停止に追い込まれてしまいました。しかし観光関係者らの強い要望で、一九八八年に再び蘇ったのです。

写真  海抜〇mのスキャグウェイから、三十二キロ先のホワイトパスまでの標高差は八七九m。列車はディーゼル機関車を三両も連結して、急勾配に挑みます。先日ジュノーのヘリコプターでの『体重過少申告』夫人が、自分のことを棚にあげて「あらこの列車、速度が遅くなったわ。きっと森本さんを乗せているからよ」「それならご一緒に降りましょう」

 降りる代わりに、デッキに出てみると、寒いのなんのって。車内は石炭を燃料とするダルマストーブ(懐かしいですね)が焚かれるほどの気温です。「ここにも歩くダルマストーブがあるわよ」「合計三つですね」

■魅惑のトレーシーアーム
 走ること約一時間、列車はさらに険しい山道を登りはじめます。「死馬の谷」と呼ばれるところで、断崖にへばりつくように進む列車に乗っていると、当時の人々がいかに苦労してこの峠を越えて行ったかがわかります。高所恐怖症の私はさっさと車内に戻り(逃げ込み?)ました。

 列車はカナダの国境であるホワイトパスに到着。しかし乗客全員パスポートを持っていないので、降りることはできません。ディーゼル機関車を一番後ろに付け替え、再びスキャグウェイに戻ります。

 夜「スタープリンセス」はスキャグウェイを出向し、ケチカンに向かいます。翌日は終日航海ですが、なんといっても途中トレーシーアームでのクルージングが待っています。トレーシーアームはジュノーの南に位置するフィヨルドで、海に覆いかぶさるように迫る緑に覆われた深い山と、その最深部にあるソーヤ氷河の青い氷の壁が、観光客を魅きつけて離しません。船は大きな氷塊をすり抜けていくように航行。 この日の天気は曇りで、太陽が出ていないことがかえって氷塊の青さを際立たせていました。しかしこの日はソーヤ氷河前の氷塊が大変厚く(船にぶつかったら大変です)、安全に航行させるために早めに切り上げざるを得なかったのは、少々残念です。

■忙しい私
 翌日、アラスカ最南端の町にケチカンに到着。ケチカンはアラスカ州の中で四番目に大きい都市で、森や丘の緑に彩られたフィヨルドの景観は、東南アラスカでも隋一の美しさとの定評があります。ケチカンの観光で私が一番興味を惹かれたのが「アラスカ野生の熊観察」でした。「二七五ドル(約三万三千円)しますけど行ってみますか」とご案内すると「熊が必ず見られる保証はないんでしょ。それに私たち目の前に熊がいるから」とまたまた『体重過少申告夫人』のイヤミ。熊にされたり、ダルマストーブにされたり、忙しい私です。結局一番無難なケチカン市内観光になりました。私たちが訪れたのは、港から約四キロの郊外にあるサクスマンインディアンビレッジです。村の中ではサクスマンの歴史と伝統が紹介されていて、インディアンの伝統儀式やトーテムポール製作の様子を見ることができました。

■まさに自然の動物園
写真  ケチカンでの滞在は半日、お昼には出港、約三十時間かけて最後の寄港地カナダのビクトリアに向かいます。約千キロの距離があるビクトリアまでの間は、インサイドパッセージと呼ばれるフィヨルドを通りますが、海というより湖を航行しているようです。船の十七階にある屋上でフィヨルドを眺めていると、アザラシやラッコ、イルカ、そしてクジラまでみることができて、まさに『自然の動物園』です。

 波も風もほとんどなく「スタープリンセス」は順調に最後の寄港地、カナダのブリティシュコロンビア州都、ビクトリアに夕方到着。翌朝はシアトルでの下船日です。その準備に忙しいのか、ここでは下船されなかった方も多く、私ひとりでビクトリア市内を散策しました。 ビクトリアという名前は英国のビクトリア女王の名前から取られており、世界に名だたる観光都市になった現在でも、英国の生活スタイルを随所に残しています。各国料理のレストラン、お買い物などにもこと欠きません。

 最後の夜を船で過ごした私たち、七泊八日の船旅もシアトル港に着岸と同時に終了。港から直行で空港へ、一路日本へ帰国の途に就いたのです。
▼2003・6・22〜7・5後編へ

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