■ひろたりあん通信旅行版
1月10日・1月12日  「成田山新勝寺と川崎大師初詣」
■仙人ではありません
 二十一世紀を迎えるにあたり、新世紀にふさわしい企画を考えていたところ、わが上司より「二〇〇一年だから二〇〇一円で行ける日帰り旅行を見つくろってくれ」との無理難題が指令されました。「せめて二十一世紀を迎えた記念ということで二一〇〇円にしていただけませんか?」二一〇〇円の設定でも相当厳しいのですが、わが上司ときたら「それは百年後の二一〇〇年(二十二世紀)に企画すればいいだろう」とまったく曲げない様子。「その頃には私はこの世には存在しませんよ」「わからんぞ、『憎まれっ子、世にはばかる』の例えもあるしな」「…」私は仙人ではありませんってば。

 いずれにしても、これでは出血大サービスを通り越して、出血多量で瀕死の状態に陥ってしまいそうです。貧血でクラクラする頭でひねり出した企画が今回の「成田山新勝寺・川崎大師初詣」でした。お客様の立場だと、こんな他愛のないやり取りの中で企画を決めるなんて、なんてふざけた会社だと憤慨なさるかもしれませんが、実際に募集をしたら大反響がありまして、最終的には約二百七十名(バス七台)の方にご参加いただいたのですからおもしろいものです。「そうらみろ、多少しゃれっ気のある方がヒット商品が生まれるんだ、わかったか」とわが上司は鼻高々、この先が思いやられます。

■欲張りでしょうか?
写真  いつものごとくバスは各配車場所でお客様をお迎えしたあと、第三京浜、首都高速、東関東自動車道を走り、成田山新勝寺に向かいました。成田山は言うまでもなく初詣のメッカとして、お正月には約五百万人もの方が参拝に訪れます。バスガイドさんが、願い事をするにあたって、お賽銭を効率よく使う方法を教えてくれました。五円は「よいご縁がありますように」ということは知られていますが、十五円だと「重なる(十)ご縁がある」、二十五円は「二重にご縁がある」ということです。なら三十五円、四十五円と十円単位でお賽銭を増やせば一層良いご縁が期待できると思うところですが、調子に乗って六十五円となると「ロクなご縁がない」、七十五円は「なかなかご縁がなく」、八十五円だと「やっぱりご縁がない」ということで、やはり欲をかいていたずらに金額を増やせばよいというわけではないそうです。やっぱりよいご縁やお願いごとをかなえるには、日頃の努力とその人の強い気持ちに勝るものはないようですね。さて「苦労にご縁がない」ようにと勝手にこじつけ、九十五円喜捨した私は欲張りでしょうか?

 さて、成田山では自由昼食を含めて約三時間の滞在で、ゆっくりと参拝をしていただきましたが、それでも出発時間に遅れてきた方がいまして、「滞在時間がまだ足りなかったかな」と少しあせりました。でも聞いてみると単に迷っただけとのことで、一安心です。

■やっぱり欲張りですか?
 次にバスは、ここも参拝者数では成田山にひけをとらない川崎大師平間寺へと皆さんをご案内しました。成田山と比べると街中というロケーションと平日のせいか、参拝客は思ったよりも少ない印象を受けましたが、かえってゆっくりと参拝でき、きっと皆さんの願い事は高確率で、空海和尚に届いたことでしょう。  写真

お寺の中よりも賑わいをみせていたのが、川崎大師の仲見世にあるお土産屋さんでした。TVでもよく紹介される棒状に延ばした飴を包丁で「トコトン、トコトン」とリズミカルに切っていく「とんとん飴」や薬草を練りこんだ大師名物「せきどめ飴」を売る飴屋さん、小麦粉の澱粉から作る歯ごたえのある餅と、黒蜜のコク、きな粉の香ばしさが絶妙に絡む、大師名物「久寿(くず)餅」を売るお店など、活気に満ち溢れていました。ここのお土産屋さんを見習って、旅行先でじゃんじゃんお土産を売るようにすれば、少しは儲かるのかも知れないと考えた私は、やっぱり欲張りなのでしょうか?

■子は親を真似るものです
 川崎大師をあとにして、ちょうど日が暮れる直前に各配車場所まで無事お送りすることができました。上司に「来年は二〇〇二円でこの企画をやりましょうか」とたずねたら「百年に一度だから価値があるんだ。来年の目玉企画はお前にまかせた」上司は私に輪をかけて逃げ足が速いようで、私の逃げ足の速さは、子が親を真似るのと同じ理由によるということがここで判明したというわけです。
                                       (森 本)
▼2000・12・17〜12・18へ

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