■ひろたりあん通信旅行版
10月24日〜10月26日 「極上のソウルステイ」
■「好事魔多し」
 シンガポール、台湾に続く、ひろたりあん旅倶楽部の海外旅行第3弾は、ソウルへのご案内です。皆様に優雅な滞在をしていただきたいと練った企画は、少々高めのお値段にもかかわらず、予想外に反響があり、キャンセル待ちが発生するほどの盛況ぶりでした。
気分のいいときは、仕事もはかどるもので、準備もぬかりなくすすみました。なのに、世間で言う「好事魔多し」とは、お調子者の私を戒めるためにある言葉なのでしょうか、出発の二日前、航空会社から座席のオーバーブックの電話が…、
ただでさえソウル便の航空券は入手が難しい(韓国人の海外旅行者が異常に増えているのがその理由)上に、こんな時に限って韓国の航空会社がストライキ。ただでさえ行楽シーズンで目が回る忙しさなのに…、ただでさえボケ気味の頭は目まいでクラクラし…、知恵熱を出しながらもやむを得ず別便の航空券を手配し直し、なんとか当日を迎えました。

■雨男は国境を越える?
 出発当日は見事な秋晴れ。私が「雨男」だという噂も秋の遠い空に消え去ったようです。ご町内から成田空港までバスでご案内して出国手続も無事完了。私達を乗せた飛行機は一路韓国の首都ソウルへと向かいました。
飛行機は順調に巡行していたのですが、ソウル金浦空港に着陸する頃、私たちの飛行機は大きく揺れはじめたのです。機長が「ただいまソウル上空の低気圧の中を通過しています」とアナウンス。森本さんの雨乞いは韓国では通じなかったね」とか「雨男は国境を越えるのね」とお客様にため息混じりに言われ、「韓国の天気の神様には日本語が通じなかったんですよ」とわけのわからない弁解をしてる間に、無事に雨が降るソウル金浦空港に着陸しました。

 バスは空港をあとにして韓国最初の観光地「統一展望台」へ。ここには南北朝鮮の悲劇の歴史がよくわかる写真などの展示物があり、分裂国家の悲しい過去を問わず語りに語っていました。展望台からは本来、北朝鮮が見渡せるのですが、雨霧にかすんで(私のせい?)よく見えなかったのが残念です。いつもならここで写真を撮影し、皆様に披露するところですが、軍事上の理由で撮影禁止だそうです。私がスパイ容疑で捕まっても、どうせ上司は「オマエは本当にスッパイ奴だなあ」くらいの一言で、同情してくれそうにないので、写真はなし。南北統一に向け歴史が動き始めていますが、最前線の緊張は完全には解けてないようです。いつか堂々と撮影できる日がくればいいですね。

■「紳士」でなく「珍士」?
写真  雨ということと夕方のソウル市内の渋滞を避けるため、一路宿泊先のホテルへと向かいました。旅行タイトルにも掲げたように今回の宿泊は最高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン・ソウル」です。ここはは一九世紀のホテル王セザール・リッツがパリに開業した、超一流ホテル「ザ・リッツ」由来のホテルで当然、宿泊客は欧米人のエリートビジネスマンが中心で、私のような「おのぼりさん」が逆に目立つくらいでした。ここで働くホテルの従業員から「森本様ようこそいらっしゃいました。紳士淑女をおもてなしする我々もまた紳士淑女です。このホテルのポリシーはこの言葉に全て凝縮されてます」と話しかけられ、顔を見ただけで名前を即座に呼べるホテルマンの鑑と言うべきそのの至芸に驚き(本当は名札を付けていたんですが)、「紳士」というよりは「珍士」の私でさえ紳士扱いしてくれたこの従業員から、「ヨイショ」することの大切さを学びました。

■ゴジラになった私
写真  ホテルで一息ついてから、レストランでの夕食にご案内しました。この日のメニューは本場韓国の骨付きカルビの焼肉と冷麺。ひろたりあん旅倶楽部のお客様の食いしん坊ぶりは、異国の地でも健在で、骨付きカルビをお替わりされた方や本場の冷麺(とっても辛い)をペロリとたいらげた方もいて、レストランの係員も唖然としていました。私も冷麺に挑戦しましたが、口の中が大やけどしたように感覚が麻痺し、まるで炎を噴き上げる「ゴジラ」のような心境になりました。私の熱い体と心を鎮めるように、ソウルの夜は更けていきます。

■ちょっぴり真面目に考えました
写真  一夜明けたソウル、二日目は昨日とうって変わって澄み渡る青い空。この日の予定は、ソウル市内の観光です。最初にご案内したのが「景福宮(キョンポックン)」ここは十四世紀末、李氏朝鮮を建国した李成桂(太祖)が造営した、韓国五大古宮の一つです。ちょうど韓国の女子高生たちが見学に来ていましたが、茶髪顔黒のコギャルを見慣れた私には、素朴ないでたちの韓国女子高生にノスタルジアを覚えました。実は「景福宮」には、日本人としては少々肩身の狭い歴史がありました。かつては十二万六千坪もの広大な敷地内に、二百棟以上の殿閣が立ち並ぶという、壮大な王宮でしたが、一五九二年の豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役…韓国では壬申倭乱)の際に大部分が焼失してしまったのです。その後一八六五年に再建されましたが、一九一〇年の日韓併合の際、この地に旧日本軍が朝鮮総督府を建造するために、この貴重な文化遺跡群を解体させたり、移転させたりしたというのです。終戦後、再建が始まり、現在でも進行中ですが、韓国内で対日感情がかんばしくないのは無理もないことかもしれません。再来年のサッカーワールドカップ共催を機に、関係の修復がはかれれば…と心から思います。

■ダイエット食品食べ放題
写真  昼食は「石焼きビビンバ」です。このレストランでは多くの種類のキムチが卓に並べられ、それもおかわり自由の食べ放題。現地ガイドの催さん(女性)が「韓国ではキムチ食べ放題のお店が多いのですよ。森本さんもたくさんキムチを食べてください」と白菜のキムチやカクテキ、水キムチなど、嫌になるほど勧められました。キムチはビタミンやミネラルが豊富で、特にダイエット食には最適だそうです。それは辛味成分のカプサイシンが脂肪を燃焼し、肥満防止に役立つとのこと。「韓国ではみんなキムチを食べているので、太った人はあまり見かけないでしょ」と催さんに言われ「そうか、だから私にキムチをあんなに勧めたのか」と思い当たり、失敬だなと半ば憤慨しつつも意識的にキムチに箸をすすめる私でした。

■「プラダ」が「パンダ」に…
 昼食後は梨泰院(イテウオン)でのショッピング。このショッピング街では、特に日本人観光客はここの高級ブランド製品の「コピー屋」に立寄るのが定番です。「ルイ・ヴィトン」や「プラダ」などのコピー製品が安く買えるのです。ここの店主が「当店は精巧な製品しか扱わない一流のコピー屋です」と自慢げに語っていたのが妙におかしかったです。ちなみに「コピー屋」にも一流から三流まであるそうで、二流の店は「コピー屋のコピー」三流にもなると「めちゃくちゃコピー」と呼ばれ、南大門市場で沢山売られているそうです。ここまでくると「プラダ」のバックは「パンダ」となるそうですが、一体誰が買うんですかね。「本物のブランド製品をご希望の方、当店では扱ってませんので免税店でお買い求め下さい」とお客に正直に伝えるのも一流のコピー屋の証だそうです。そのあと立ち寄った「新羅免税店」には「一流のコピー屋」でお土産として買ったルイ・ヴィトンの財布の「本物」がありました。私が買ったのは一万二千円で本物は約五万七千円でした。ちなみに日本では約七万円だそうですが、これは上手な買物と言えるのでしょうか?

■私を信じてください
 Aご夫妻に申しあげます。神に誓って私は純粋に「カラオケ」にご案内しようとしただけです。決して邪心を抱いていたわけではないのです。何を釈明しているかといいますと、夜「カラオケに行きたいの、森本さんだったら案内できるでしょ」とおっしゃるAご夫妻のために、Aさんに内緒で現地ガイド(男性)に店を教えてもらったのです(カンニング行為?)。着いた店には「カラオケ」と書かれた大きな看板があり、店内から歌声が漏れていて「ここです」といかにもソウル慣れしている風を装い、店内にご案内したのですが…、私の目に飛び込んできたのは、ステージで超軽装(この意味わかりますか?)の韓国美女が踊る姿でした。各ボックスでは男性客に軽装の美女が密着サービス。あろうことか、そこは「一応カラオケ装置もある」桃色酒場だったのです。もちろん私たちはそそくさと店を出たのですが、私のイメージがどのくらい崩れたか非常に心配です。でも、やはり一人の男としては、ちょっぴり儲けたかな、という気持もあったことを正直に申しておきます。それにしても、やっぱりカンニングはいけませんね。

■仕切り直しじゃありません!
 二日目の観光も無事に終わり、ホテルで一息ついてから夕食のご案内。この日は「海鮮鍋」をご用意しました。刺激の強い韓国料理に疲れた胃にはやさしい、日本人向けの味付けで好評でした。ただ私は別席で相変わらずダイエット食キムチ食べ放題の夕食で、何か私(の体型)に対するあてつけのように感じられました。これで体重が減ってなければ、一生キムチを恨みます。

 夕食後は希望者の方には「シェラトン・ウオーカー」でのショーへご案内しました。ここでは本格的国際的ショーと韓国のハニビショーを堪能した後、ソウル唯一の公認カジノで熱くなっていただきました。実を言うと私は、初日の航空機のオーバーブックなど、トラブル対応のためのミーティングがあって、皆様とご一緒できなかったのです。にもかかわらずお客様方からは「どうして森本さんは行かないの?」と聞かれ、「カラオケハプニング」でご一緒だったAご夫妻は「ふーん。忙しそうだね、それでこれから仕切り直しかい?」と半分疑いの目を向けられ、「お客様の目を盗んで桃色酒場に行くような男」というレッテルが、韓国の地で貼られてしまいました。

■韓国在勤添乗員?
写真  昨夜は遅かったので、三日目の朝はザ・リッツカールトンホテルでの優雅な朝食を満喫してから、ゆっくりのご出発です。 このホテルで私がエレベーターに乗っていると、不思議と欧米人の宿泊客に声をかけられます。私のめちゃくちゃな英語でも案外通じるものですが、ただ別れ間際には必ずといっていいほど「アンニョヒケセヨ(『さようなら』という意味))と挨拶され、どうやら私はホテルの韓国人従業員と間違われていたようです。根っからの「サービス業の顔」をしているんでしょうか。この話を会社ですれば「韓国出張所を出してやろうか」と言われるのは目に見えていますが…。

■キムチ食べ放題旅行の結末は…
写真  ホテルをあとにして航空機搭乗のまえに「南大門市場」へご案内しました。この南大門市場には食料品や衣類、雑貨などありとあらゆるものが揃っていて、その品数の多さと安さには、ただただ圧倒されるばかり。日本語を話せる店員も多く、「安いよ」「さあ買った」と呼び声が飛び交っていたので、私は値切るつもりで「高いよ」「買うな。買ったら損するよ」といった感じで、値段交渉を楽しみました。

しかし私以上の値切り上手はお客様の方で、さすが主婦の本領を異国の地でも発揮していました。
私が目についた中ではマツタケが安かったように思います。韓国への北朝鮮からのお土産の一つがマツタケだったことでもわかるように、単なる日本への輸出品だったマツタケが、朝鮮民族の食卓でも珍重されるようになったそうで、最近ではかなり値が上がっているそうですが、それでも日本では考えられないような値段です。もっとも安マツタケにわざと高い値をつける業者もいるそうで、油断は禁物ですが…。

結局私はキムチ専門店で絶品のキムチをお土産に買ったのですが、考えてみれば私にとってのソウル添乗は「キムチ食べ放題の旅」のようなもの、帰国後は見るのも嫌になっていて、一週間も放っておいたら、タッパーウェアが異常に膨張してしまい、食べると強烈に酸っぱくなっていました。しかもあれほど食べさせられたのに、私にとってダイエット効果はさほどなく、体型も膨張したままでした。

■苦労は知ってはいますが…
 成田からの帰りのバスの中でリピータのお客様から「森本さんもずいぶんの数の旅行記を書いているけど、一冊の本にまとめたらどう?」というおだて言葉。そうかもうそんなに書いているのか。でもきっと編集キャップは「おまえの酸っぱくなったキムチのような作文を、まがりなりにも『旅行記』に仕立て直すための苦労は知ってるよな?」と罵られそうです。 でもいつか「ひろたりあんバス旅行同行記には書けない添乗員の本音(仮称)」を書いてみたい気もします。覚悟してください。(森本)        

▼2000・9・27〜9.29へ

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