■ひろたりあん通信旅行版
3月7日〜3月9日  「四国、四万十川・足摺岬・道後温泉・しまなみ街道」
■上司は恐妻家?
 ようやく春の気配が感じられるようになり、そろそろ行楽シーズンがやってきた感があります。お客様にぜひ一足早い春の訪れを体感していただこうと四国周遊旅行を計画したのですが、そんな私の「親切心」が二日目にアダとなるとは予想だにしなかったのです…。

 送迎バスで各配車場所から皆様を羽田空港までご案内し、航空機は東西を大移動して高知空港に到着しました。空港で待機していたバスガイドさんの第一声は「『ひろたりあん』ってどういう意味ですか?」という素朴な質問でした。廣田新聞店のお客様以外の方から、このような質問はよく受けるのですが、このバスガイドさん以外でも、ホテル従業員の方など業者関係の方は、どうも「おばたりあん旅倶楽部」だと勘違いしているふしがあるのです。あるいは「おばたりあん旅倶楽部」だと世間体が悪いので、会社名の「廣田」を使って「ひろたりあん旅倶楽部」とごまかしていると思っているようなのです。確かに廣田新聞店の存在を知らなかったらそう思うのが普通かもしれませんし、ましてや妙齢のご婦人方のご参加が多いので、その顔ぶれだけで判断するというような失礼な人も世間にはいるわけです。実は、私もこのネーミングの由来は詳しく知らなかったのです。そこで命名に携わったという私の上司に聞くと、なぜか上ずった声で「『おばたりあん』とは決して関係ないぞ、勘違いしてはいけないぞ、あえて言えばイタリア人という意味の『イタリアン』、「ひろたの仲間たち」という意味だ。うちのカミさんの姿から『おばたりあん』を連想して、思いついたネーミングでは絶対にないからなっ、間違えるなよっ」ずいぶん奥さんに気をつかったような答えが返ってきました。どうやら私の上司は恐妻家のようです。

写真■「胴馬」が行く…
 土佐名物の「かつおのたたき」定食の昼食を召し上がっていただいた後、桂浜へご案内しました。桂浜は知る人ぞ知る月の名所、また「坂本龍馬の銅像」が聳え立つ高知の景勝地です場所としても有名です。遠く太平洋を見つめる(実際にはアメリカの方角を向いているようです)その姿はとてもりりしく感じました。私も当然龍馬のように大志を抱いて仕事に取り組んでいるのですが、貫禄ではとてもとても龍馬には及びません。「なあに、恰幅だけは負けちゃいないぞ、まさに『森本胴馬』だな」と言われるかもしれませんが…。

■旅倶楽部は食いしん坊集団
 桂浜をあとにして、バスに乗ること約五時間、足摺岬に近い「あしずり温泉郷」にある「ホテル海上館」に到着しました。横浜を出発してから十二時間もかけて足摺岬にたどりつくとは、日本はとても広いのかそれとも交通の便が悪いのかはさておき、旅館に到着後すぐに夕食となりました。皆さんとてもおなかがすいていたせいか、夕食時間の十分前には全員がお揃いでした。メンバーがその旅行ごとに変わっても、ひろたりあん旅倶楽部がいつも食いしん坊集団になってしまうのはなぜでしょうか?(私のせい?)、この旅館の名物料理である伊勢海老料理に舌づづみを打ち、お客様同士の会話を楽しんでいた様子です。

■ご理解いただけないのが残念です
写真  二日目の行程は、早朝の足摺岬での散策を楽しんだあと、昭和四十五年に全国で初めて海中公園に指定された「竜串」にご案内しました。そして次が今回の旅行のハイライトである四万十川観光遊覧船での観光です。ところが、船が小さいせいなのか、私が乗り込もうとすると皆さん一声に「森本さんが乗ると船が沈没するぞー」その直後船上は笑いの渦に。確かに私が乗るときに船が傾いたのは紛れもない事実ですが、皆様にこうしてなごんでいただくために、体重を高度に維持するという私の苦労をなかなかご理解いただけないのが残念です。四万十川は日本最後の清流として名高い川、静かな日は遊覧船でのんびりできるのですが、増水時には流れが激変し様々な表情を見せてくれます。私達が乗船する前から風は強かったのですが、一時間後下船時にはもう船は休航していて、間一髪セーフ。

■ご飯消失の謎
 バスは高知県から愛媛県へ入りました。江戸時代の面影を色濃く残す「内子」の古い町並みを散策する前に、宇和島市で昼食をご用意しました。この日の昼食は「鯛めし」です。ちなみに愛媛県の郷土料理ともいえる「鯛めし」ですが、道後温泉のある松山と宇和島では、呼び名は同じ「鯛めし」でも調理方法が全然異なるのです。松山の鯛めしは、ご飯と一緒に鯛をまるごと炊き上げるもので、これがごく一般的な調理法です。ところが宇和島の鯛めしは、だしが入ったたまり醤油に鯛の刺身を入れてお茶漬けのように食べる漁師料理なのです。この宇和島の鯛めしがお客様にはとても好評で、私もついご飯が進みおかわりを重ね、ふと気がついたら山盛りにあったはずのおひつの中のご飯が消失していたのです。

■社会貢献しましょうか
写真  しっかりと、いやしっかり過ぎるほど昼食をとったあと、内子に向かいました。内子町は和紙や木蝋で古くから栄えた町で、その往時の面影を残す街並は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。その内子町に到着した途端、なんということか、四国では珍しい雪が降りはじめ、時間がたつにつれて吹雪に変わたのです。もちろんお客様からは「森本さんにしかできない芸当だ」と皮肉たっぷりのおほめの言葉をいただく始末。皆様に暖かい四国で一足早い春を…との私の親切心をアダに変えたのは、私の中に潜む「雨男」だったというわけです。三十年ぶりに愛媛県に雪を降らせるなんて、「おまえの存在自体が低気圧なんだ」と上司にイヤミを言われるのも無理もないことかも。そのうち旱魃に悩む土地への旅行企画を立てて、社会貢献しようかなと思います。それにしても私の添乗時に雨や雪が降ると、車内が大いに盛り上がるのはなぜでしょう?毎回の旅行記で私の「雨男」ぶりを宣伝し過ぎたせいでしょうか。真顔で「さすがですね」などと言われたら「えへへ」と笑ってごまかすしかありません。

■日本最古の湯
 結局高速道路は通行止め。峠道の国道をひた走り、夕方ようやく道後温泉にたどりつきました。「春や昔十五万石の城下かな」と正岡子規が詠んだ城下町松山にある道後温泉は今から三千年前に湧き出したともいわれる日本最古の名湯であり、古くは「日本書紀」や「万葉集」にも登場し、子規や夏目漱石ら多くの文人墨客たちに愛されてきました。夕食後は国の重要文化財、道後温泉本館へ足を運んだり、道後温泉本館から市内電車駅までの六十店舗以上立ち並ぶ商店街(ほとんどがお土産屋さん)でお買い物をしたりと、皆さん思い思いに道後でのひとときを楽しまれていました。

写真  一日目と二日目の行程が少々ハードだったので、三日目はゆっくりと九時三十分の出発。まず訪れたのは四国霊場五十一番札所の石手寺。この石手寺は四国八十八ヵ所霊場の中心寺として、白装束のお遍路さんや観光客が絶えません。その後バスは今治市を抜けて、「しまなみ海道」を渡りました。お昼に近づくにつれて天気は回復し、来島海峡大橋を走るころには快晴。早春の瀬戸内海はまさに絶景で、感動的でした。途中「大三島」でたこめし定食の昼食、「生口島」では耕三寺を廻り、バスはいよいよ本州に。尾道の千光寺公園にバスを停め「文学のこみち」を散策しました。

■パリでセンスを磨いてきます
 林芙美子の小説「放浪記」の舞台である尾道は坂の街で、丘の上から眺める景観美に魅かれて、志賀直哉や正岡子規など多くの文学者が訪れた場所ですが、最近は映画のロケ地としても有名で、ご当地出身の大林宣彦監督の尾道作品の面影を探りに訪れる観光客が絶えません。そういう意味で尾道は「芸術的な街」とも呼べますが、月に三度も旅行記を書かねばならない私も尾道にあやかりたいところです。いつも編集に「中学生の作文レベルだな、センスのかけらもない、三十四点!」「あーあ、手直しのためにまた残業か」などといじめていただいている私は、いつになったら文学の香り漂う旅行記が書けるのやら。来週は「パリ旅行」の添乗ですが、芸術の都パリで芸術的センスでも磨いてこようかと思いつつ、帰路についたのでした。

ひろたりあん旅倶楽部のパリ珍道中(?)も無事終わり、時差ボケをしているヒマもなく(もっとも年中時差ボケとの噂もありますが…)、日も経たない間に日帰りバスツアーを催行しました。当日のコースは、水戸偕楽園で観梅、益子で陶器のお買い物といちご狩り…「ちょっと待てよ、このコースは昨年と同じじゃないか」とお気付きの方もいらっしゃるかと思います。その通り、昼食会場を除いて全く同じコースです。「手を抜いているんじゃないの?」いえいえ、頭はボケているかもしれませんが、仕事には手を抜いたりはしません、このコースは春の人気定番コースで、再びご用意させていただいたのです。もっとも、おかげで少々楽をさせてもらうことができましたが…(やっぱり手抜き?)。

                                       (森 本)
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