■ひろたりあん通信旅行版
9月27日〜9月29日 「世界遺産宮島と山陰の小京都 萩・津和野」
■体力が勝負です
「越中おわら風の盆」の旅行も無事終わったかと思いきや、すぐ「世界遺産安芸の宮島と山陰の小京都津和野・萩」、東へ西へ、旅がらすのような日々を送っています「森本さんは電話をかけても全然つかまらないのね」秋の行楽シーズンに突入し、お客様の旅の欲求にいち早く応えなければならない私は、てんてこ舞いの忙しさなのです。そんな私の心持を逆撫でするかのように「忙しいそうな割には全然やせないわね」お客様にまで言われる始末。「大きなお世話です」とは言いたくても言えないので「添乗は体力が勝負なんです。体力維持には細心の注意を払っています」と答える私です。「体力」を「体重」と読み違えないでくださいね。

 出発当日は全国的に晴天に恵まれ、羽田空港から一路石見空港へと向かいました。石見空港(島根県益田市)からは現地の観光バスに乗り換えて、1時間ほどで最初の観光地山口県萩市に入りました。現地のバスガイドさんのお話はとてもおもしろく、タイミングよく流れる話術はとても勉強になりました。ただ萩にまつわる歴史上の人物(吉田松陰や明治維新にかかわる人物)、いわゆる日本史の講義中、お客様は夢の中でした(学生時代は日本史が苦手だったのでしょうかね?)。さすがに旅慣れた皆様、力の抜きどころを熟知してらっしゃいます。

■百利休氏に感謝
 最初に訪れたのは萩焼窯元でした。「一楽二萩三唐津」と呼ばれ、日本屈指の焼き物です。何を隠そうわが廣田新聞店には自称「千利休」ならぬ「百利休」を名乗る「茶の湯の心」に精通している(と本人が言ってます)K店長がいまして、萩焼の茶碗を買ってくるよう頼まれていました。「萩焼の茶碗は長年使っていくうちに、お茶が浸透して茶碗の色が変わって茶人の間では『茶馴れ』『萩の七化け』といって珍重されているんだよ」と茶道に無縁の私に対し懇切丁寧にご教授いただきました。もちろん、お客様の前で私の知識として披露させていただいたことは、言うまでもありません。

写真■志士も旅がらす
 次は萩観光には欠かせない松下村塾・松陰神社を訪れました。松下村塾は吉田松陰が安政3年(一八五六)から2年半、武家の子弟を教育した場所でここから伊藤博文・高杉晋作など明治維新で活躍した人材を輩出したところです。維新のために日本中を駆け回った志士たちも『旅がらす』だったんだな、と自分を志士にオーバーラップさせて悦に入る私でした。バスガイドさんの日本史講義中は熟睡されたお客様方も、ここでは食い入るように説明を聞いていました。でも、中にはマイペースなお客様もいて、私が「明治維新で活躍した方々の行動力には驚きますね」と言いましたら「そうだね、何が何だかわからないけどすごいね」とまあ相変わらず人の話を聞いていない様子。まあ団体行動を守って楽しくやっているからいいか、と苦笑しつつ本日の宿泊先の「千春楽」に到着しました。

写真■旅行先でアルバイト?
 2日目は萩から秋吉台・秋芳洞そして山陰の小京都津和野へご案内しました。この日も晴天に恵まれ、悠久の時代の流れの中で風雪に磨かれた、羊の群れのような石灰岩が点在する秋吉台からの眺めは壮大なものでした。ひと息ついている私にソフトクリームを差し出してくださったのは、ひろたりあん旅倶楽部の旅行で世界中のソフトクリームを総ナメすると宣言した「ソフトクリーム総ナメ夫人」でした(詳しくは今年6月の北海道旅行記をご覧下さい。当社のホームページ『ひろたりあん電子通信』でもご覧になれます)。「ここの夏みかんのソフトクリームはとてもおいしいのよ」と勧められたのですが、酸味のきいたさっぱりした味でした。あまりのおいしさにこのご婦人は、お店の人に変わって他のツアーの方にも夏みかんソフトクリームのセールスをしていたくらいです。もちろんその情熱は多くの方を引きつけ、売り場は人の列ができたのです。さすがソフトクリームで世界制覇をしようという夫人熱意は半端じゃありません。

■昭和の生まれです
 秋吉台を後にして、次にご案内したのは東洋一のスケールを誇る大鍾乳洞「秋芳洞」です。新人の頃、私は「秋芳洞」の読み方を「しゅうほうどう」と教わったので、お客様に「しゅうほうどう」とご案内したのですが、バスガイドさんから「参加者の中で一番お年を召している方は森本さんですね」と不本意なご指摘。このうら若き青年に向かってなんとも失敬なお言葉ですから、なんでなの?と尋ねると、バスガイドさんは「地元の方は『あきよしどう』と呼びます。もともとは『秋吉洞』と呼ばれていたこの鍾乳洞を、大正十五年、昭和天皇が摂政時代に探索された時に『秋芳洞』と命名なされ、漢語風に『しゅうほうどう』とお呼びになりました。特に明治時代のお生まれの方はその影響で『しゅうほうどう』と呼ぶ方が多いのです」参加された方の中には明治生まれの方はいませんでしたが、私もれっきとした昭和生まれですのでお間違えなく。

■お昼寝タイムも用意
 「秋吉洞」の内部は水に溶けた石灰岩が悠久の年月をかけて造りあげた鍾乳石のオブジェで彩られ、宇宙にも似た神秘的な空間に、自然の力のすごさを実感させられました。
 昼食後、お昼寝タイムをご用意するなんて、なんと行き届いたサービスでしょう…本当は山陰の小京都「津和野」に向かう移動時間のことで、食後眠くなる人間の本能にまかせて、お客様が自主的にお昼寝タイムを設けていたというお話。津和野は城下町としての七百年の伝統が今も息づく、自動車よりも自転車が似合う街です。皆さんのんびりと自由散策を楽しまれていました。

写真■どんな体型なんですか?
 夕食の時突然派手な和服姿の女性が会場に現れ、何事か?と思いましたが、この方はこの宿のの宮川女将で、テレビでもよく紹介される「名物女将」です。あるお客様は「先週、テレビで見た女将さんなのね。その旅館に行ってみたいと思っていたのよ。まさかこの旅館だとは思わなかった」と歓声をあげられました。その声援に応えて女将さんは歌と踊りを披露してくれました。「森本さんも一緒に踊ったら?」自称「宴会部長(実際は係長なのですが…)」でもお客様よりも目立ってはまずいので辞退しました。「その体格なのに相変わらず逃げるのがうまいのね」と言われる始末。でもその体型ってどんな体型なのかな、気になります。それはともかく私が歌や踊りを披露しようものなら明日から「名物添乗員」ならぬ「迷惑添乗員」と言われかねません。宴も終わり夜九時頃からこの旅館のメインイベント「女将劇場」が始まりました。女将の踊りや太鼓は迫力があって、私たちはただ息をのむばかりでした。その後マジックシヨーやクイズなどが続き、楽しい内容でした。クイズでは女将がお客様をトンカチで殴る場外乱闘のハプニングが…。実はクイズに間違えた人がトンカチ(もちろんおもちゃ)で叩かれる罰ゲームだったのです。わがひろたりあん旅倶楽部のお客様にも「殴られた」方がいました。中にはわざと間違える「マゾ」の気がある方や、答えてもいないのにもかかわらず、濡れ衣を着せられ頭を叩かれた方もいました。そんなこんなで会場は大爆笑の渦、楽しい湯田温泉での夜でした。

写真■逃げ足だけは速いのです
 三日目は岩国の「錦帯橋」と安芸の「宮島」へとご案内しました。錦帯橋は錦川の清流にかかる五連の木製アーチ橋で日本三名橋の一つです。私が橋の下からお客様のお写真を撮ってから、錦帯橋を渡ってしばらくすると、お客様から「いつのまに渡ったの?さっき橋の下で写真を撮っていたでしょう?」そのお客様は私が横を追い越したことに気がつかず、錦帯橋から錦川を見ていたのです。「その体型の割には逃げ足だけは速いのね」だからどんな体型なんですかね?私の逃げ足が速いとしたら、わが上司に叱られ続ける中で身についたものです。この場を借りて上司にお礼を言っておきます。
 その後、世界遺産安芸の宮島を訪れ、一時間の観光をすませてから平和記念公園、そして広島空港から帰路につきました。この間も面白いエピソードがありましたが、紙面の関係で端折らせていただきます。最後まで逃げ足だけは速い私でした。
                                     (森 本)
       

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